宮本武蔵は「有構 無構」と言い、構えは全て切る目的の為にあり、それ以外の目的で構えるものは何一つない、と説いている。
とは言うものの、現存する宮本武蔵の二天一流の肖像画の姿勢は、両刀を自然に下げ、すくっと立った、見事な自然体だ。
確かに、他の運動競技では、素早い動きに対する身構える時、膝を曲げ、腰も曲げる、、レディースポジィション、と言う動きやすい準備態勢を取る。
バスケットや、サッカー、SKI 徒競走などを見れば解る。
昔の、伝書に書かれている、挿絵でも腰を曲げて膝を曲げた姿勢で、刀を持ったのものを見かける。
運動神経、反射神経に重きを置いた、実際の切り合いでは、そんな格好に成らざるを得なかったのかもしれない。
単なる運動競技では、運動神経、反射神経に重きを置いた動きに対する身構え方は如何してもそうならざるをえないのだ。
だが、宮本武蔵の肖像画もそうだが、剣道、剣術に関して姿勢や、構えを作る?(自然体は作ると言えるかどうか?)のは何故か?
熊は此処に大きな疑問を抱いた。
実戦での命の遣り取りには、単に運動神経の善し悪しだけでは片付けられない、精神的安定の維持が、必要不可欠で、その姿勢をもたらしたのではないかという考えに達した。
剣道をおやりになる方々なら、多少なりとも精神、心の有りようが、稽古や試合内容を左右する経験をお持ちであると思う。
ましてや、これが、命を掛けた真剣勝負の切り合いなら、その場での恐怖感、緊張感は極限状態になって当然。
そうなると、如何にその場での精神コントロールが大きな勝敗の分岐点になるか、お解り頂けると思う。
人間、慌てた時、焦った時、呼吸はどんな状態になっているか?
運動競技で意気が上がった状態の呼吸はどうなっているか?
恐らく、肩を大きく上下させて、肺でゼイゼイ呼吸しているに違いない。
当然、体に必要な分だけの酸素量が少ないから肺が其れを要求して、呼吸が粗くなるわけで、呼吸が粗い状態は酸素が血液の中に十分に行渡らない状態と言うことに成る。
血液中の酸素量が減れば、脳に回る血液中の酸素も減るわけだから、思考能力が落ちて当然。
思考能力が落ちている状態は、すなわち、精神状態の不安定がかもし出される事になる。
と考えると、思考能力を落とさず、精神安定のためには、何時如何なる場合でも、呼吸を乱さない工夫がなされなければならない。
座禅を組む、僧の姿勢、背筋が確り伸びて、腹式呼吸で長呼気丹田呼吸を意識している。
また、剣道における呼吸法も、長呼気丹田法を奨励し、実践している。
中村天風氏が説く、精神安定のためのクンパハカと言う呼吸法も同じだ。
この長呼気、丹田呼吸法を取り入れようとした場合は姿勢が悪くては出来ないことはこれらの事例により、想像にくしくはない。
背筋を伸ばし、骨盤に背骨をしゃんと乗せて天を突くように、姿勢を保ち、下腹を軽く閉めて、肩の力を抜き肛門を閉める。
それで、長呼気で呼吸をすれば、心の安定が保たれる。
その姿勢でこそ精神が一番安定させる事のできおる、長呼気丹田呼吸が可能になることを、先人達が経験から編み出したものと推察るる。
だから、言い換えてみれば、剣道の構え、は必然、必要不可欠により、自然発生的に、出来上がってきたのだと考えている。
そして其れが、自然に構える中に風格や、品位というものをかもし出してきたのだと思う。