<剣道教訓集>
~柳生宗矩遺訓~
「習いより習いを離れ、
しかも習いに違わぬこの境地に至れば、
業は自由自在のものとなり、
己の心は何処にあるも知れず、
天魔外道のうかがい知る事あたわず。」
基本を正しく学び、基本を考えなくとも基本通り行えるようになれば、技は自由自在に使える様になり、自分の心が何処にあるか(何を考えているか)は何者であろうとも、誰も窺い知る事は出来ないとの意。
~白隠禅師「禅の修業の三原則」~
「憤志」
憤りを持つほどの強い意思で修行に取り組む。絶対貫徹の志で修行する。
「大疑」
自己対する厳しいまでの心理の追求。本当此れで良いのか?徹底追求。
「信根」
自分は正しい修行をすると言う強い信念。目先の欲に囚われず本道を行く。
~某禅師の言葉より~
「正」
正しいという字は一に止まるという字を書く。正しい心理は只一つである。
~剣道の四戒~
「驚き」・「懼れ」・「疑い」・「惑い」
この様な心理状態になった時は必ず負けに繋がる。勝ち負けを考えると、この様な心理状態に陥り易い。大いなる勇気と気迫で払拭する。なりきる事で道が開ける。
~門前の瓦~
門を叩く時に使った瓦は、門が開いたら直ぐに捨てるべきである。それを持ったまま、座敷(部屋)に入ると置き場に困るもの。(自分が失敗した事を何時までもくよくよ考えている、というのと同じ意。)用が済んだら直ちに捨てよとの教え。
~止心~
物事に囚われて心の働きが止まり鈍る事。
~残心(三つある)~
~柳生新陰流上達法の極意~
- 打突時に思い切って打つ事。
- 打った後に油断せず、心を残す。
- 打ち損じた時、心を残し次に備える事。
~柳生新陰流上達法の極意~
三磨の位
- 良師に付いて正しく習う事。
- 習った事をどうすれば出来るようになるか工夫する事。
- 工夫して得た事を実際に試してみる事。
この三つの事を繰り返し、繰り返す事で上達していくもので、この内のどれ一つを欠いても上達は覚束ない。
~気・剣・体の一致~
気=気合(大きな掛け声)。打ち込む時の強い意志、心の働き。
剣=刀(竹刀)の操作の事。竹刀が打突部位に正確に刃筋正しく打突する。
体=足捌き、体捌き、踏み込み等、身体の動きが力強く正確に行われる事。
この三つの要素が一体となって働いた時、本当の一本が生まれる。
~攻防不ニ(一致)~
攻めの中に守りがあり、守りの中に攻めがある。
強い集中力で途切れる事無く、相手の動作に応じて臨機応変に対処できる状態をいう。
~懸待の一致~
懸=攻撃、待=相手の様子を見る。
相手を視察する時はあくまでも慎重にし、攻撃を掛ける時は勇猛果敢に攻める。
この二つの事が渾然一体とならなければ勝ちは得られない。
~三つの許さぬところ~
- 相手の技の起こり=出頭
- 相手の受け止めた所=居着き
- 技の尽きた所=気の抜けた所。
打突の絶好の機会。
この打突の機会を逃さない稽古を心掛ける事。
~宮本武蔵遺訓(五輪書)~
枕を抑える事
相手が技を起こそうとする機会を打つ事。
(寝ている相手が起き上がろうとする、その頭を押さえつけると起き上がれない事をいう。)
相手を打つ最高の機会で、攻める気があってはじめて成功するものである。
先=仕掛け技
飛び込み面、払い面、払い小手など。自分から仕掛けて打つ。
先の先=相打ちの技
抜き胴、出端技、合気の面など相手の出頭を打つ。
後の先=応じ技
擦りあげ技、応じ技、返し技など相手の打突を無効にして打つ。
打突の機会の捕らえ方は以上三通りが、全て強い攻め気があって初めて成功する。
~念流十四世 樋口定高遺訓~
- 剣の道、業を勤めて自ら、業を離れて業にこそあれ。
技の稽古を真剣に行い、考えなくとも自然に出るようになる技こそ本物の技。 - 業は勤むるに精しく、嬉ぶに荒む。
技の稽古は一生懸命稽古をしている時は良いが、出来たと得意(嬉ぶ)になって怠けるとだめになる。 - 好きこそ物の上手なりけり。
何をするにしても覚えの良し悪しや、上手、下手はどれだけ興味を覚えるか、又は面白いと感ずるかで決まるもので、生まれつきの能力(器用、不器用)とは関係がないものである。 - 策師策に溺れ、功者功に倒れる。
権謀術策を巡らしても、本筋(大道)を行く人には勝てない。正しい修行を忘れない事。
- 大功は拙成るが如し。(大賢は愚なるが如く)
本当の上手は一見下手にみえるもの。(余りにも自然すぎて簡単にみえてしまう)本当の絶妙の技は一見平凡にみえるが心の働きは非凡である。
~直心=素直な心~
剣道の上達のコツはこの素直な心を持って、師、先輩の教えを素直に受け入れて真剣に稽古をする事が大切。
~守破離~(修行の過程を三段階にあらわした教え)
守=師に心酔し、その教えを忠実に守り、一心不乱に修行する段階をいう。
破=師の教えを完全に習得し、さらに広く深く工夫、研究、実践していく段階。
離=守破の段階を超え、さらに深く研鑚自得し、心技一体の自在の境地にいたる。
~大強速軽~(剣道の稽古、修行の心得)
技は大きく、気は強く、息速くして、足は軽やか。
技は思い切りの良い大技で充実した気力を持って息は抜かない(油断をしない)で足を使って、思い切りの良い稽古を心がけると上達も早い。
~山岡鉄舟遺訓~
- それ剣は無敵に至るを至極となす。
優劣のある時は無敵に非ず、此れを心という。敵を致して、致されない。 - 敵を致して、致されない。
相手を自分の思う侭に引き回して自分はされない事。主導権、主体性を持つ。 - 卒啄之機(そったくのき)
卵の殻から雛が孵る時、殻を嘴で内側から雛が突っつき、外からは親鳥が突っつき、その機会が一致して雛が孵る事。師弟の心が一致し、更に時期を把握しないと正しい教育は出来ないとの教え。 - 無心
心の中に何も無いという事ではなく、自分の心の計算を捨て、エゴを取り払い、そのまま真理に叶うという事である。
打とうと思わず、又、打たれまいとも思わず、自分の持っている力を出し切っていれば自ずと無心の状態になり、自然に技も働き道にも叶うもので、これこそが「真剣道」である。
一日も早く剣術の世界から飛躍して、真の剣の道を行じたいものである。
~三殺法~(相手を挫く方法が三つある)
- 相手の気を殺す。
充実した気勢を持って、勇猛果敢積極的に攻め立て、相手の気勢を挫き攻勢に出れないようにする。 - 相手の竹刀を殺す。
竹刀(刀)を左右に押さえたり、払ったり、巻く等して自由を制する。 - 相手の技を殺す。
自分から鋭く攻撃を仕掛け、間断無く攻立てて防戦一方の状態にする。
~捨て身~
勝負の世界は厳しいもの、強い者が必ず勝つとは言い切れない。ましてや、心に躊躇する気持 ちがあれば絶対勝ちはおぼつかない。機と見たら命懸けで打ち込む事で道が開ける。真剣勝負は思い切りのよい方が勝つ確率が高いものである。覚悟を決める事である。
~遠山の目付け~
目は相手の顔を見るが、特定の一部に視線を固定しないで全体を見る。近くにある物の、其の一点を凝視すると全体が見えなくなる。ゆったりとした気持ちで、山の稜線を眺めるように、相手の姿、動きなど全体を見るようにする。
~観見の目付け~ 宮本武蔵(五輪書)
(観の眼強く、見の目弱く)
観の眼=心の眼、相手の心を読み取る洞察力のことをいう。
見の目=現象面を見る肉体の目の事をいう。
肉体の目で現象面の動きだけを見ていると、早い動きに惑わされる事があるが、観の眼(心の眼)を強くし、物事の本質を見抜く力を養えば惑わされる事はなく、自然に対処できる。
~帯の矩~ 千葉周作の教え
相手の実力が遥かに上で自分が絶対絶命の境遇に追い込まれた時、相手の目を見れば威圧感で自分が萎縮してしまう。こんな時、相手の帯の辺りに目を付 けて、自分の生死を考えず思い切り捨て身で相手に切り込め、と教えている。帯は「腰=身体の中心」である事から、全身の動きの要であり、相手の動きが解れ ば万に一つの勝ちも期待できる。
~一眼二足三胆四力~
(剣道の上達過程に於いて重要な点を順番に列記した教え)
- 眼=相手を見る視察力。初心では反射神経を養い上達に従い心の眼・洞察力を養う。
- 足=身体の運用は足の働きが一番大切。足を鍛える事で、鋭い動きが出来る。
- 胆=腹構えの事で、何時何処でどんな事があっても冷静沈着に対処出来る心を養う。
- 力=技を使う力。柔らかくしかも鋭い力をいい、決して重量拳の筋肉の力ではない。
~事理一致~
「事」とは剣道の技の事をいい、「理」とは剣道の原理(理論=理合)をいう。原理、理合いに基づく技の行使があって、初めて生きた技となり本物の剣道に繋がる。
~良寛の詩~
- 花は無心にして蝶を招き、蝶は無心にして花を尋ね、花開く時蝶は来たり、蝶来る時花開く…とある。
- 敵をただ打つと思うな身を護れ、ら洩れる賎が家の月。
- 打つは太刀、進むは足のものならば、心は何の主となるらん。
思わず出る技が無心の技で、難しく考える必要はない。
勿論各自のレベルに応じた無心がある訳で、そのレベルを高める事を勉強したい。無心になりきる一番の早道は、気力を充実させて集中力を高める事。剣道の稽古をする其のものになりきることが肝心。
~沢庵禅師遺訓~
心を動かさないのではなく、前後左右上下と自由自在に動かし、一箇所(何か一つの事)だけに心を止めない事。「止心」の戒めと同義。
~平常心~
何時如何なる時でも普段と変わらぬ心持ちで「事」に対処することをいう。もし、「死」に直面したとしても、いつもとなんら変わらぬ態度で、冷静沈着に対処し心の乱れの無い状態をいう。
~チャンスの神~
「西洋の諺」にチャンスの神の頭の後ろには毛が無いから逃すと捕まえられない。だから前から捕まえよ。というのがある。チャンスは積極的に掴めという事。
<指導者の教訓>
~持田盛ニ範士十段遺訓~
剣道は五十歳までは基礎を一生懸命勉強して、自分のものにしなくてはならない。普通基礎というと、初心者の内に習得してしまったと思っているが、これは大変な間違いであって、其の為に基礎を頭の中にしまい込んだままの人が非常に多い。
私は剣道の基礎を体で覚えるのに五十年かかった。私の剣道は五十歳を過ぎてから本当の修行に入った。心で剣道をしようとしたからである。
六十歳になると足腰が弱くなる。この弱さを補うのは心である。心を働かして弱点を強くするように努めた。
七十歳になると身体全体が弱くなる。今度は心を動かさな修行をした。心が動かなくなれば、相手の心がこちらの鏡に映ってくる。
八十歳になると心は動かなくなった。だが時々雑念が入る。心の中に雑念を入れないように修行をしている。
~吉田松陰遺訓~
妄りに人を師とするべからず、真に学ぶべきもの在りて師とすべし。
妄りに人の師となるべからず、真に教ゆるべきもの在りて師となるべし。
~指導者について~
- だめな指導者はよく喋る。
- 普通の指導者は説明する。
- 良い指導者は範を示す。
- 最高の指導者は燃えさせる。