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剣術秘傳獨修行 巻之上

剣術には多くの流派がある。流派の元祖はどの人も名人だったので、後世までその流儀が伝わったものである。だからどの流派が良く、どの流派が悪いとは言えないものだ。
誰でも一生懸命修行をすれば皆上手になれるのに、各流派をあれこれと悪口を言ったり非難したり、その上自分の稽古の未熟な事を自覚せず先生を変える等という事は、結局は本当の剣術にはならないものである。
どの様な芸術も皆同じではあるが、特に武芸は純粋な気持ちで取り組まなければ、業ひとつ自分のものにする事は出来ない。
昔、漢の国の李廣将軍が狩りに出て、草の中の石を虎と勘違いして弓で射ったら、その石に深々と矢が突き刺さった。その後、石を射て見たが矢が通る事は無かった。
これは、初めは草中の石を一心に虎と思って射たので深々と射込めたのであるが、次からは石にも矢は通るかと二気を以て射たので、一矢も刺さらなかったのである。
こうした例からも、剣術は純気を第一に取り組むべきである。
そうは言っても、気ばかりを修行しようとすると頭でっかちになって、これも又役に立たないものである。
業は気から生まれるとは言うけれども、初めは業の修練から気というものが理解出来るようになり、修行を積み重ねて次第に気・業が一致するものである。
ここに到達するまでの稽古は大変に難しい事である。
粉骨砕身の努力をしなければ、身につける事は出来ないものである。
その方法は先生に教えて貰うのが一番良い。どの様な芸事も先生がいなくては、あれこれ試行錯誤ばかりでなかなか先へ進めないものである。
吉田兼好がその著「徒然草」のなかで、男山の山上にある石清水八幡宮へお参りに行ったのに、麓にある社寺を詣でて石清水八幡宮へ参ったつもりで帰って来てしまったお坊さんの話を載せており、これも指導者がいなかった為と書いている。
特に芸術を学ぶには指導者はなくてはならないものだ。
しかしながら、私があえてここに独り修行という事を書くのは、仕事や勤務の関係、或いは住居の関係で近隣に先生や仲間がいない、又は志はあるけれども経済的な理由などで先生について習う事の出来ない人達の為に記すという事なのです。
先生がいなくては成就出来ないと言いながら、独り修行とはなんだ、とお叱りを受けるかも知れませんが、どういう事か説明しておきます。
良く考えてみてください。元祖の元祖、ずっーと先の元祖を逆上っていったら誰もいなくなるという事を。
最初の誰かが、剣術が好きで、純粋に一生懸命努力し、自分で身に付けたという事なのです。
純粋に一生懸命努力しようとする心に感心して、神様が助けられる事もあるでしょう。
中国の斉の時代の管仲という宰相は「これを思い、これを思い、又重ねてこれを思って通じない時は、神様がこれを通ずるようにしてくれる」と言っている。
こうした事が起こるのは、全て純粋に一生懸命努力する気持ちがあるからです。
しかしながら、思っているだけで稽古をしなければ神様といえどもどうする事も出来ません。
論語の中でも「一日中食べず、一晩中寝ずに考えても何の役にも立たない。実行しなさい」と孔子様が言われています。
剣術に神伝とか夢想という事があるのは、ここまで言って来たように真実の心“純粋に一生懸命努力している”という事を神様が感じて力をかしてくれて、だ から自分のものに出来たという事なのに、努力もせずに仏様や神様にさえ祈っていれば上手になると思うのは、大層愚かな事である。
神伝と言っても、神様が毎日来られて教えて下さる訳ではなく、夢想だからと言って、毎夜、夢で教えていただける訳でもないでしょう。
長い間、一生懸命努力していると、何か一言聞いてもそれがきっかけとなって深い理解が得られることはあるけれども、一言教わっただけ、ちょこっと夢に見たくらいで、良く知りもしない事が十分理解出来たなどという事がある訳がない。
自分の体をかけて努力しなければ、どんな事でも上手くなる訳がないのである。
流儀はいろいろあって、構えなども各々異なっている。上段を専門とする流派あり、青眼を重要視する流派もあり、入り身を第一とする流派もある。これは皆元祖の得意業の残ったもので、実は元祖の‘癖’であり、その元祖の癖を流儀と名付けているのである。
剣術のみに限らず、書道などにおいても、先師の手癖を流儀と称しているように、片寄った考えのようであるけれども、持って生まれたその人特有の資質だから、父子でも伝える事の出来ないやり方=流儀というものである。
他の人から見れば不利なやり方に見えても、本人は自分の最もやり易い方法であるから、いつもそのやり方で勝ってしまう事が出来るのである。
先生と言われる程の人ならば、その人の持っている良い所を引き出して指導すべきであるのに、自分の得意な事を弟子にも押し付けようとする為に、弟子は生 まれつき持っていない苦手な事をさせられ、生まれつき持っている得意なものを抑え付けられて、上手になれないだけでなく、終いには飽きて稽古を止めるか、 それで無ければ他の先生の所へ行くようになってしまう。
孟子様も、人のなすべき事は極めて簡単な事なのに、殆どの人はそれをわざわざ難しいものと考えている、と言っておられる。
これも又、私の言っている事と同じ事を言っているのである。
人には生まれつきの得意業があるものであり、その天性の素質を磨いてあげる事が出来る人を名師というのである。
詳しくは、下の巻秘伝の部に書いておくから、良く読んで理解して下さい。
治にいて乱を忘れず、という諺もあるように、平和に日々を送っている時でも心懸けて剣術の稽古に励む事が大切です。
さむらいとして突然に主君や家族の危難に逢った時、気持ちばかり奮い立っても、剣術を知らないで立ち向かえば、自身も傷つくだけで無く、主君や家族の危難を救う事も出来ず却って不忠不孝と非難されたりしたら、悔しいとは思いませんか。
「身体髪膚(しんたいはっぷ)は父母に受けたり、毀(そこない)傷(やぶる)らざるは孝の始めとす」と、孝経にも記しています。
剣術は身の守りであるから、毀い傷らないようにするには、習練する事です。
戦陣に出て勇気が無いのは孝ではない、と曽子も言っています。
強い勇気を持つためには、武芸を学ぶ事です。明の国の戚南塘(せきなんとう)と言う将軍も剣術を学べば肝が太くなるといっています。
弓・馬・槍・薙刀・柔術・取手なども武士の嗜む芸であるというけれども、とりわけ刀は身分の上下にかかわらず武士なら必ず身に帯しているものであるから、第一に頼みとするのは剣術です。
元々、“武”は戈(ほこ)を止(とど)むる、と書く文字だから、剣術を学んでおいて一生役に立てる必要がない武士は、武道修行の恩恵を知らず知らずに受けている誠に幸せな武士と言うべきであろう。
乱れているのを治め、暴虐を鎮め平和にする事は、“武”の徳である。
決して無益の事に使うものでは無い。一時の怒りに任せて人を害し、その結果自分の身を亡ぼす事は不忠不孝といって手柄なんかである筈が無いのです。
どのような芸事も同じではあるが、特に武術を修行する者は絶対に他流派を悪く言ったりしてはならない。どのような流派も良い所があるから伝わって来たのです。
向こうは向こうで自分の流派の方が良いと思い、こちらはこちらで自分の流派の方が有利だと思っているから、それをあれこれ言っていると終いには争いとな り、詰まらない事に命を賭け、流儀に傷を付け、先生の名前まで汚すことになってしまう事にもなりかねないから絶対に慎むべきなのです。
ひとたび入門して、教えを受ける先生を尊敬し、習った事を一生懸命修行すれば、いつかは、先生よりも強く上手になれるだろう。それをこの流儀は面白くな いとか、あっちの流儀の方が有利そうだと、あっちで習ったりこっちで教わったり、心が散乱して一生懸命になれない者は、結局は一つの流儀をきちんと学び取 る事は出来ないものです。
一つの流儀をきちんと学び取った者は、広くいろいろな流派も自分の勉強の為に教わる事も良いだろう。但しその場合は試合などはしないで、弟子として教わりなさい。
心の狭い人は教わる事を恥ずかしいと思うようであるが、孔子様でさえ、私には特に先生という人はいないが、人が三人もいれば必ず何か教わる先生はいるものだ、と言われています。
世の中には、ある種の書き付けを義経の虎之巻と名付けて秘蔵する人がいます。
今、そうした書き付けを見ると仏神のお姿などが書いてあるだけで、剣術の事などは一つも書いてない、つまらない物だ。
源義経が兵書を鬼一法眼という文武の達人から伝えられたという事は古い書物に書いてあるが、その兵書というのは「六韜三略」(りくとうさんりゃく)という書物である。
“韜”(とう)とは兵法の秘訣という意味で、文韜、武韜、虎韜、豹韜、犬韜、の六巻で構成されている。
いかがわしい占い師などが、この虎韜をまねて虎の巻というものを作って人を迷わそうとしたもので、信じてはいけません。
すべて武士というほどの者は、迷ったり、疑ったりする事の無いのが一番大切です。
少しでも迷ったり、疑ったりする時は、勝つ事は難しいものです。
だから孫子という人は、人を致して人に致されず(戦いに巧みな者は常に優位に立って、敵を駆使し、敵から駆使されることがない)といっています。
楠正成の四天王寺の未来記の話や、源義経の宇佐八幡の歌の件などは、味方の士気を高め、敵の気を挫く作戦で、これが人を致すという事である。
義経は宇佐八幡へ部下を派遣し、
世の中の うさには神も なきものを なに祈るらん 心づくしに との歌を奉納させたが、丁度来ていた平家の若武者がこの歌を聞いて、意気消沈し入水自 殺するなどといって逃げていった者や、隠れてしまった者がいて、とうとう平家は滅びてしまったのです。良将は人を致し、愚将は人に致されるという事例で す。
楠正成の四天王寺の未来記の話も又同様の事例です。
いつごろの事だったでしょうか、正成が敵と組み打ちになって押さえつけられた時、敵に向かって「お前は大将の首の取り方を知っているのか」と言い、敵がこの言葉を聞いて一寸考えている間に、跳ね返して逆に敵を討ち取ってしまった。
剣術者なら心得ておくべき事です。
人々が差している刀の長さについてであるが、長剣を好む者もいるし、短剣が好きな人もいて長短は明確に決まっておりません。
しかしながら、長いから有利とは言えず、短かいから損だという事はありません。
自分より下手な相手なら、長くても短くても自由に使えるものです。自分よりも上手な相手だったら、長剣は邪魔になり、短剣は届かなくて負けてしまうものです。
一般的に言って、刀の長さは大体鐔元を握ってだらりと下に降ろした時、切っ先が地面に触れぬ程度の長さのものを使用するべきである。人には体格の違いはあるけれども、これを基準に考えてください。
但し三尺以上の野太刀などは別の考え方をするものです。
大小の刀の拵えは、厳めしくなく目立たないで、しかも丈夫なものが良い。中子は柄の頭まで届くほどのものが良い、中子の短いのはバランスが悪く、柄の折れる事もある。
柄の太いのは手にしっかり馴染まず、相手に打ち落とされる恐れがある。
目貫きは、逆目貫きを好む者がいる。太刀目貫きともいうがこれも異というべきだ。
元々、昔は目釘押さえといって、目釘の抜けないように目貫きで押さえたものなのに、今は目釘の部分を避けて見栄ばかりになってしまって、実際の役には立たないものになってしまった。
試合の時の組み打ちには、柔術や取手は役に立たないものだ。相撲なら良い。
相撲は垂仁天皇の時代に始まり、朝廷の行事としても行われたが、今はやらなくなってしまった。昔は大名も皆相撲を取っていた事が古い文書にも書いてあるが、この頃では身分の低い者の仕事と見られるようになってしまった。
剣術も昔は形稽古ばかりで、試合はしない流派が多かったが、近頃はどの流派でも試合を重要視しています。
剣術の技術は大変に詳細になってきています。形ばかり稽古して試合稽古をしなければ、通常は形通りにやれば勝てると思うかも知れないが、実際の勝負が懸かったらなかなか思い通りにはいかないものなのです。
又、人間の背丈程の杭を「突」(つく)と名付け、これを立てて突いたり打ったりして独り修行をする人があるけれども、杭は死物であるからこの稽古は役には立たない。
とにかく生きているものを相手にするのでなければ、稽古にはならないものです。
又、敵がどのような攻撃をしてこようとも、この業一つで対応すると決めている流儀がある。あれこれと気持ちの動かない純粋な心に似ているが、いざ勝負となった場合どうなる事やら心もとない限りである。
すべて形というものは、形がなければ何からどのように学べばよいか分からないという事で、やむを得ず定められたもので、剣術の手引きともいうべきものであり、習字におけるい、ろ、は、である。
世間では、口決、秘伝、免許、印可という事がある。
口決(くけつ)は、書物に書かずに、言葉だけで教える事を言う。自分では気付かぬ事も言われれば直ぐに理解できるという事である。
秘伝というのは、簡単に教えず、他人に知られないようにして、極一部の人にしか伝えない事のようであるが、そうでは無い。本当に理解出来る人でないと、子弟であっても伝えられない事もある。
孔子様が「吾が道一以てこれを貫く」と言われたのを、曽子という人が直ぐに理解して、「唯々」と答えられた。「唯々」とはすみやかに理解したという意味の返答である。
その場には他にも聞いていた者がいたが、孔子様がいなくなられてから、「今の、一つ以てこれを貫く、と仰ったのはどういう意味か」と曽子に聞いたが、曽子は、この人は理解出来ていない、と分かったので「忠恕のみです」と答えた。
忠とは、他人の事を自分の事と同じように真心を込めてする事です。
恕とは、自分がされたら嫌だと思う事を、人も嫌がるだろうと思いやってしない事をいいます。しかしながら「忠恕」と言えば一つの意味しか無いわけではありません。
どう説明すれば理解して貰えるか分からず、やむを得ずこのように答えたのです。
秘伝と言うのもこういう事です。
理解出来る人で無ければ聞いても役には立たないものです。
つまるところ、口決、秘伝を理解するというのは修行によるという事です。
免許、印可というのも稽古に励む助けにはなるけれども、どのような芸事もこれで終わりという事はなく、一生続くものです。
或る名人の先生が門人に教えるに際し、他流のように許可という手続きも無く、先に修行した流儀があればその流儀のやり方で教え、神文誓詞も取らず、秘伝、口決という事も無いと聞いた。実に有り難い剣術の大先生と言うべきだ。
しかし昔から中国では、これから出陣する大将に、祭壇を設け、武器を授けて任命するといった儀礼を行って大将の地位の重みを兵士に教えて、尊敬させるという事も行われている。少しの事を伝えるのにも、身を清めて、良い日を選ぶのは、教わった事を疎かにさせない為です。
簡単に教える方法も、複雑な段階を経て教える方法も、どちらが良いとは言えない。
口決、秘伝を教わらなくても一生懸命修行をして行けば、自然に自分で理解出来る時期が来るものです。そして自分自身で理解した事ほど強い事は無いのです。
どのような芸事をする人にも、器用・不器用の別はあるけれども、一心に努力して怠らなければ、必ず大成するものである。
他人が一度で上手に出来るならば、自分はこれを十回稽古せよ。
他人が十回して上手に出来るならば、自分はこれを百回稽古せよ、と言われている。
大師の御歌にも、次のようにあります。
嗜(すき)と功(こう) 上手と三ツを くらぶれば すきこそ物の 上手とはなれ
とにかく、よそ見せず一生懸命努力して稽古する事が大切だという事です。
流儀によっては種々の構えがあると言うが、特に変わった構えというのは無いものだ。剣術の業も千変万化とは言うが、上段、下段、上下の斜、横一文字、突きの外には方法が無いものです。
このように言うと、簡単な事のようであるが、長い間修行しないと自分のものにはならない。心はいくら激しく奮い立っても、相手に対して自由に使う事など出来ないものです。修行の方法は下巻秘伝の部に書くから、ここでは省略しておく。
世間の言い伝えに、鞘止め、楊枝がくれ、或いは金縛り、摩利支天の法などという事がある。有名な剣術の先生といっても、教養・学識のない人は、このような偽説に惑わされて、無いものを求めてくよくよしたりする事があるものです。
剣術をやろうとする者は厳に慎むべき事です。
昔、或る尼さんが夜外出して、知らずに蛙を踏み潰してしまった。帰って来てつくづくと思うには、あ々、私はこの数十年来沢山の戒律を守って怠けず修行し て来たのに、今宵殺生戒を破ってしまった、なんと悲しい事だろうとくよくよと思いながら寝たが、夢の中に数多くの蛙が出てきて、お前は尼さんの身でありな がら我々の仲間を踏み殺してしまった、殺生戒を侵してしまったぞと一晩中尼さんを攻め続けた。
夜が明けて夕べの場所へ行って見たところ、なんと踏み潰したと思っていたのは蛙では無く縄の切れ端であった。
尼さんは一辺にくよくよしていた気持ちが晴れて、すっきりした心になってしまった。
これは全て、自分の心の迷いから起きた事であり、常々心がけて、物事に対して正しく正確に判断出来るようになることが大切であるという事です。