Canada Youshinkan Kendo Dojo

剣道を人生に活かす

人様は、熊のことをアホと言うかも知れないが、自分の人生、25を過ぎたあたりから、剣道一色で人生を送ってきた。
全てを剣道にかけてきたと言っても過言ではない。そのために、仕事も三度変えた。時間も金もつぎ込んできた。

そのお陰か、色々学ばせて頂けた。その中で一番大きな収穫は、剣道の教えは全て人生に繋がると言う事の発見だ。
立派な師匠に付いて学んだお陰で、今、本当に幸せな人生を送らせて頂いている。

不思議な事に、熊を可愛がってくれた先生方は超一流の先生方だ。どれだけ多くの超一流の方々に薫陶を得たか、常々有り難い事だと感謝している。
熊の武者修行の中に出てくる先生方、直接教えを頂き、お話を聞けただけでも凄い事だと思う。超一流になられる方々は何かが違う。

只、いえる事は、先生方との出会いがあったとしても、其れを何処まで吸収できるか。それは全て自分の心の中にある。心次第で、宝に出きるか、ゴミと化すか。雲泥の差が出るということだ。

剣道を、宗教と捕らえる方が居る。剣禅一致なる言葉も其処から生まれているに違いない。又、剣道は哲学だと仰る方々も居られる。
どちらにせよ、人間修養の道であることは代わりが無かろう。

剣道は叩けば良いと考える方々も居る事は事実だが、もったいない話だと思う。単に汗を掻くだけのものなら、激しいスポーツは他に幾らでもある。
打たれたことに感謝して、打ったことを謙虚に反省する。其れを無くしての剣道は、犬畜生の喧嘩にも劣る。小川忠太郎先生の言葉だ。

人生でもいろいろな事が出てくる、全ての事柄が必要不可欠で自分の身の回りで起きるのだと言う事を知るべきだろう。誰を恨む事でもない。
全て自己の責任なのだ。打たれるには打たれる理由がある。完璧なら打たれるはずが無い。

昔の諺に、「犬も歩けば棒に当たる」生きていて行動を起こせば何かに出会う。その行動が正しければ結果は自ずと正しい方向に出る。

今まで、65年の歳月を活かさせて頂けた。ありがたい事だ。おまけに剣道と言う一生極めても極めきれない、道がある。
と言うことは、死ぬまで楽しめる道があるという事だ。

自分の人生を、剣道と照らし合わせてみていくと、生きる方向性が見えてくる。邪心多き人生を生きてきただけに、今は反省しきりだ。
だが、後悔はしていない。過去は過去一秒でも過去は取り戻せない。其れなら、今から生きる人生を、その反省を踏まえて、剣道の教えに従って生きていけば楽しい余生があるに違いない。

ありがたいことです。