剣道を遣るようになり、榊原正先生に本を読めと叱られて、本を読み出した。最初は剣道日本や、時代の雑誌が殆どだったが、他の剣道書も読むようになり、又参考になると思われる書物も読み出した。
その背景には、羽賀の親父が読書の虫で、色々のジャンルの本を読んで勉強していたのがあり、その本を読ませていただいたことが大きい。
中には、白隠禅師の健康法と逸話と言う本があり、白隠和尚のような生き方が出来れば良いなと憧れている。
人間は不思議なもので、何かに憧れを持ち、関心が深まると其れに近づく努力をする。年のせいなのか、修行のせいなのか、はたまた鈍感になったのか、昔のように腹が立たなくなり、平穏無事に過ごさせていただいている。
白隠和尚は、山岡鉄舟師の静岡時代の師匠でもある。禅師だからといってお堅い人物ではなく「お富士さん、雲の衣を脱ぎゃしゃんせ、雪の肌へが見とうござんす。」としゃれたざれ歌を書いておられるくらい幅のある方だった。
逸話にこんな話がある。
金持ちの娘が如何した事か子を孕んだ、彼女の父親は娘を折檻して誰の子かと聞きただした、娘は困り果て、白隠和尚だと嘘をついた。
娘の父親は怒り心頭で白隠に詰め寄り、生まれた子を白隠に渡し、「お前が育てろと」と捨て台詞で帰って行った。
白隠さんは、生まれた子供に罪はないと、もらい乳をしながら村々を回り子を育てた。当然村々からは非難轟々であったに違いない。
影口も叩かれたであろう、叱責も受けたであろう。だが彼は、ハイハイ、この白隠が悪うございました。生まれた子に罪はない乳をお恵み下され。と言いながら村々を回ったそうな。
その内に、娘が男を連れて、白隠の下に現れて、許しを請うたという。白隠は何も言わず子を娘に渡し、無事に育てなさいよと易しく言ったと言う。
自分の行いに恥ずることが無ければ人が何と言おうと清清しく堂々と生きた。中々出来ない生き方だ。でも憧れるこんな生き方、自分もしてみたいそう思う。