Canada Youshinkan Kendo Dojo

愚かな行為

剣道において、稽古や試合中、首をかしげたり姿勢を崩して、相手の打突を避ける事を良く見かけます。

これは、剣道修行者として自らを辱める愚かな行為である事を知らなければなりません。

まず、我々は剣道の剣は刀と言う観念で稽古しなければ行けません。なぜなら竹の棒だと思うから真剣みが出てこない。

これが刀だと思えば、必然的に、真剣にならざるを得ない。

それが武道に繋がるからです。生死の掛かる戦いから始まったのが武道。

単に競技として、ゲームとして始まったのがスポーツとして考えれば、説明が簡単かと思います。

そこで、相手が打ってきたときに仮に首を傾げて避けて、1本を逃れたとします。しかし真剣であれば如何でしょう。肩を切られて、絶命しているはずです。

其れと大事にしなければならないのは、剣道を自分自身の心の修行と捉えた場合、首を振り避ける=居ついてしまった、と言うこと相手の攻撃に対処できなかったと言うほかなりません。

これは完全な負けです。どうせ負けるのであれば、みっともなく足掻いて首を振り逃げるより、打たれた方が潔く、又相手の打ちの動作を最後まで確認できる。

詰まり不動心への修行になる。これは非常に大事な点です。

また、首を振った瞬間、相手が視界から外れるので動作確認が出来ない。動いているものを打つのと、静止状態のものをドチラガ打ちやすいか。

考えてみるまでも無く、動いているものを捕らえる方が難しいに決まっています。

首を振るということは、相手の打突部位が静止していたとしたら、自分で視線を動かして打ちにくくしているわけです。

それにこれは現行の試合規則を悪用している。打突部位は4箇所しかありません。本来剣術なら何処を切っても良い。

其れをそれでは、節操がないということで4部位に決めてあるわけですから、其れさえ逃れれば良いと言う姑息な考え方は、道の修行とは言い難い。

それらの事を鑑みても、姿勢を崩す事は、その人が剣道に取り組む姿勢を完全に反映している事になるので気をつけなければ成らない。

姿勢を崩すことにより、著しくその人の剣道に対する心構え人格をもを辱めている事に気付かねばなりません。

又風格や、剣風の上から見ても、感心した動作ではない。

反射神経で、崩れる剣道よりも、反射神経のもう一つ上を行く、本当の不動心を身につける修行こそが本当の剣道修行だと考えるからです。

姿勢を崩す=心を動かされた=負けです。

打つ打たれる以前の、問題。真摯に謙虚に考えなければならない問題だと強く思っています。