Canada Youshinkan Kendo Dojo

小川忠太郎先生の見識

今更ながらに、驚いている事がある。

小川忠太郎先生と出合ったのは、もうすでに、35年前の事だ、お話の中で、真と言うことで話されていたのですが、「今は何でも多数決で物事が決まる。だが、どれだけ、多数決でも間違っているも事は、間違いだといえる信念が無ければ成らない。」と話されていた。

、「人間が決めた事は、人間が変えることが出来る。だが、宇宙の大真理は変えることが出来ない。」とも話されていた。

恐らく今の世の中なら、何を世迷言を、と言う方が殆どだろう。だが自分で何度も人生の失敗を繰り返してきて、最終的にたどり着いたのが同じ感覚だから不思議だ。

正直者は馬鹿を見るとは良く人が言う事だが、正直ほど気楽な事はない。天に向かい公明正大だと言い切れる心ほど尊いものはない。
お陰さまで気楽な生活をたのしまさせていただいている。

今や、剣道は、完全に試合に勝つことが目的になってしまった。だから、三所避けが無くならない。それどころか、その、卑怯さを奨励する指導者さえ居る。又、刺し面などという言葉が当たり前の如く使われている。又、子供の指導者が其れを奨励し指導している光景を見た。哀れかな・・・・

刺し面の由来は、鳥刺しからきている。竿の先に鳥もちを付けて、鳥にめがけて真っ直ぐに竿を伸ばし、鳥もちを羽に付着させて鳥を捕獲する方法だ。
詰まり、鳥指し面は面に向かい上下運動のない面打ちで、切れるものではないということを知っているのかしらいでか。

熊が、世界大会の審判を仰せつかっていた頃、当事、審判講習会で、講師をなされていた、小沼宏至範士九段は「指し面は絶対に採ってはいけない。剣道界から撲滅しなければ成らない行為だ」と激しく言われていた。

その言葉が、試合の中で当たり前の如く使われている現状。京都大会の範士の部の模範演武ですら、三所避けが見受けられたのには、唖然とした。

一昔前は、京都大会といえば、剣道家が一年の精進を発表する崇高な場であった。今は恥を掻きに出る場になってしまったのか・・・・・
お相手に間を詰められて、一歩下がっただけでも、負けだと言われた京都大会。今や、其処まで気の張った真剣勝負は殆どお目にかかれない。
拝見していて、心打つ立会いが本当に少なくなった。残念至極な事だ。

試合は、あくまで剣道奨励の一旦として始まったが、今や其れに勝つことだけが重要視されて、目的になってしまった。
高々、竹刀の当てっこに勝ったところで何ほどの事があろう。今や、正々堂々等の言葉は剣道界では,死語になったのであろう。

剣道が段々悪くなる。これも多数決ゆえか?真理を曲げた所に正常な発展はない。これだけは言い切れる。

小川先生の見識の高さが今もって身につまされる昨今だ。