最近親父がカナダに残してくれた資料を見ていたらこんなのが出てきた。構えについて書かれたものだが、宮本武蔵の五輪の書、地の巻き「五方の構えの事」に書かれたものと千葉周作の遺稿集から引用してある。
「構えに品あり、充分に防ぎし構えは、善き勝ち少なきものなり、打つ間を與へ置かねば、打って来ぬものなり、十分に打って来らねば、十分の勝ちはなきものぞ、是を以って心に構え、形をば與へて、心は與へず彼を知って、己を知られざること要術なり」
宮本武蔵は、「何れの構えなりとも、構ゆる思うに非ず、切ることなりと思うべし」と書いている。
どんな構えも構える事が主眼ではなく、打つことが第一である。ただ漫然と構えるだけでは、真の構えとは成らない。自分の心の中に打つと言う強い意志の働きが大切であり、気の抜けた構えでは役に立たない。魂の篭った正しい構えを実践して欲しいものだ。と結んであった。
正剣を目指す人は、一応に構えを作る。だが作ることが頭にある間、本物の構えは出来ないのかもしれない。
実際、最近構えは必要ないのではと考えることすらあるのだが、構えすぎても駄目、構えなくても駄目と言う処だろうか。
要は自分の緊張感の伴った強い集中力が在れば構えは如何でも良いとすら思えることがある。有構無構と言う言葉もあるからだ。だが一方、美しく気品ある構えはその人の修行の深さ、剣道に取り組む真摯さが伺えて捨てがたい魅力もある。
行き着くところ、構えは自分にあったところでしか収まらないのかもしれない。