剣道の実力とは???
最近試合がこれだけもてはやされるようになると、試合に強い人が、剣道に強い人、と解釈されがちだが、一概にそうとは言いがたい。
確かに試合も強く、稽古も地のある方はたまに居る。だが往々にして、両方持ち合わせる方はまれな様だ。
熊の尊敬する先生で、化け物的に強い先生が居る、恐らく現代居る剣豪の中では最高の強さを誇る先生だろうと思う。佐藤博信範士である。
其の先生ですら、全日本選手権は取られていない。だが八段戦は一年休場を含めて4連勝。今だその記録は破られていない。
昔から、機会在る毎に稽古を頂いて来たが、先ず触れた事が無い。今まで過去、先生がウンと認めてくれたのは1本だけ。殆ど、何も出来ないで引き下がるだけの稽古だ。
何処からあの強さが出るのか、勿論人には言えない影での稽古量は当然の事、それに裏づけされた、技術。それに加え精神的な強さであると思う。
先生の稽古を受けて何時も感じるのだが非常に目が明るく、非常に冷静な判断が持続しているという事だ。どんな方法で其れを実現可能にされて居るのかは計り知れないが、絶対に、ハッと驚く事がない、だから、居つか無いのだ。
まるで子供がおもちゃで遊ぶが如く手玉に取られてしまう。打てば返し返せば打たれる。どうにもこうにも、手も足も出ない。
其れと、今一人、大坂の西善延範士だ、この先生も化け物、強かった。今もご健在だが、この先生にも1本も打てた記憶が無い。磐石の強さを持っておられた。
その他にも数人はおられると思うが、おけ稽古をいただいていないので、何ともいえない。
熊くらい、長年稽古をしてくると、其のうちに1本くらいは打てることが在るのだが、まずもって、このお二方は未だに如何する事も出来ないままで終わりそうだ。
試合の当てっこも一方便として、大事だが、生涯剣道を遣るのであれば、絶対の強さを身につけたいと念じている。
剣道が、本当の強さを学ぶ事から離れて、試合に勝つための当てる技術の習得に固守するように成ってきたから、剣道が可笑しく成り出したのだと言っても過言ではない。
強くなると、敵を作るなどと、言われた先生が居たが、強くなるのが剣道修行であり、其の強くなるために努力をする。其の真剣実から学ぶのが人間形成に役立つのではなかろうか。
強くならない為のの剣道修行なら、修行とは言えないのではなかろうか、皆が一同に強くなることを目的としているはずである。
仮に、宮元武蔵の書いた五輪書が何処の誰かわからぬ一般の剣道家が書いたものであれば、此れほど、尊重はされないであろう。60余度の真剣勝負に勝ち残った実績があればこそ、未だに剣道書として、愛読されて居るのだとおもう。
現代の当てっこでは、60余度の真剣勝負は勝てるどうりがなかろう。
剣道は強くなってこそ、修行が成り立つ。そのための努力が、色々人間形成に役立つのだと信じて止まない。