Canada Youshinkan Kendo Dojo

間の感覚

間合い、俗に言う、相手と自分の距離。

お互いに構えて、竹刀と竹刀を合わせたその距離感覚で、遠間、一足一刀の間、近間、などと表現しています。

しかし、ある程度剣道が解って来た方なら、間合いは、距離ではない事に気が付くはずです。

間合いは、お互いの集中力、気力の差により、変わるもので、決して何CMの距離感でない事が理解できると思います。

竹刀が触れ合わない先の距離の、遠い間合いでも、油断している人なら簡単にせめて打つことが出来る。

又、中結いが交差するくらいまで攻め合っても、お互い油断が無ければ打てない。

その中で、打ち間という物は、その刻々変わる、相手との心の状況変化を如何に捉えるか、其処が大きな鍵になると考えるのです。

よく、練りあいと言う言葉を耳にします。熊自信は、本物の錬りあいは、練る物ではなくて、お互いが磐石の気位で、譲り合わない、お互いが動けない状態が、偶然起きる膠着状態が錬りあいの状態だと思うのです。

ですが、形だけまねている。もしくは、そこで、後だしジャンケン(待つ)を狙っているだけの方が非常に多い気がするのです。これは要領です。

又、剣先で物語をする、会話をする、と言う方も居られます。熊自身もそう考えていた時代があります。ですが其れは如何なんだろう?と最近思うようになりました。

これらは果たして、本物の間の攻め合い、中心の攻めあいなのか如何かと言う事に疑問を持ち始めたのです。そんな中途半端な集中力が本物の攻め合いかどうか疑問なのです。

当然その要領を狙う方々矢、会話に拘って居る方々の剣道は間合いが非常に近くなります。いわば機会を逸してしまった、残骸剣道と言わざるを得ません。
其処には本物の緊張感と言うものが感じられません。

ですから自分の間がどれだけの緊張感を持って相手と対しているか、それで自分が感じる間合いは変化するのだと言う事を覚えておいてください。

俗に言う、虚実の攻め、これも多分に、心の状況変化のもたらす、作用ではないでしょうか。

その緊張感も、揺るむ時があります。其処が虚です。実は緊張感が緩んでない状態、充実した状態の時です。

お互いが充実している時には、中々打てる物では在りません。相手を崩そうと掛かれば逆に其処が隙になります。無理が生じるからです。

ですから、自分が保持できる、緊張感が、間合いを司る原点だと考えて居ます。