Canada Youshinkan Kendo Dojo

剣先が利いている

別のサイトで、剣先の利いている人の見分け方について質問してきた女性剣士が居ました。この人は、非常に熱心に剣道に取り組んで居られ、真摯に体もかけてよく研究しておられます。

そこで、其の方の質問に答えて熊なりの見解を示させて頂いきました。

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先ず、剣先が利く、生きるとは何かと言う事について一応、熊なりの見解を示しておきます。

剣先が利いている=自分の剣先が相手の中心を捉えているということだと解釈している方々が多いと思いますが、熊はそれだけでは不十分と考えています。

何故なら、其れはあくまで、形の上での剣先の置き所であり、剣先は相手の動き行動により其れに上手く反応して、自由自在に対応できて初めて本来の剣先が生きていると言う考え方に基づくからなんです。

逆に、中心を取る事に意識過剰になっている剣先は働きが自然でなくなり、不自由になり、剣先が死んでいるとすら考えています。

さて本題に入りますが、先ず剣先が良い働きをするためには、先ず良い構えを作りえて居なければ成らない物と考えます。

「健全な肉体に、健全な精神が宿る」が如く、正しい構えにこそ、正しい剣先が宿る。と考える次第です。正しい構えとは姿勢正く、気力の充実した構えの事です。

当然、正しい姿勢、気力の充実=臍下丹田の意識と友に、 呼吸法が大きな鍵になることは申すまでもありません。自分の気力が迫力となり剣先に現れる。

其れが剣先が生きて居る、利いている、ということだと思います。
そこで、要約すると、下記のようになるかと思います。

1 背中の壁。左足が軽く伸びて背筋が伸びて頭までラインが確りと一直緯線になる。臍下丹田に力が篭らないとこの構えは出来ません。

2 左手の納まり。左手が臍前1~1.5握り前に確り納まり、ヒョコヒョコ動かない。
動揺しない腹が出来ないと左手は納まりません。

3 肩の力が抜けて両肩が同じ角度ででストントと落ちている。
両肩の力が均等に抜けて、完全に脱力の状態でなければ、鋭い技や変化に対応できないでしょ。

4 前に立つと、何となく打てる気がしなくて、気おされる感じがする人。
剣先は竹刀の先の部分ではなくて、其の先空間に威圧感が出てくるのが本物です。

本当に剣先が利いて居る人の竹刀は自分の胸の辺り、自分の両肩と竹刀を握る三角形の中から外れない

其の為に、技を出しても、なんか絡められてしまう感じ、撒くとか払うとかではなく、簡単に応じられたり、小手を打たれたり面を打たれたりします。

剣先に威力を持たせようと頑固に固定していたり、剣先に柔らかさがない剣先は逆に死んでいます。

俗に言う、三角矩の構えがあります。自分の臍、剣先、其の延長が相手の目、つまり自分の目の二等辺三角形を言う物ですが、あれも原則を言ってるだけでで、剣先は普遍的に自由に相手の動きに応じ変化できる状態が最高なんだと思います。

本当に剣先が利いている人の剣先は何となく邪魔に感じるそれが本物だと思いますよ。

打つ前に瞬間的に剣先を前に突き出して、相手の動揺を誘う遣り方は、剣先を利かすというよりは、単に色を見せた、フェイントを掛けたのと同じで本来の剣先の利かせ方とは違う気がします。

本当の実力者には其処色、を逆に打たれるはずです。

剣先は通常竹刀の先端部の先革の部分と考えるかもしれませんが、剣の先と考えれば、剣の先=相手との空間に其の威力が届くと考えた方が奥が深いと考えます。

江戸の昔、自分の剣先から火が出る、輪が出ると言った実在の剣客達がが居ました。
其の教えを考えてみてもお分かり頂けると思います。剣先から火が出るわけも、輪が出るわけも有りません。

其の剣客たちの気迫、勢いが剣先を通じて迫力になり、相手に威圧感と成り現れ出ていた物でしょう。そう考えると、やはり剣先が生きると言う事は自分の臍下丹田の力が剣先を通じて相手に気迫と成り通じるのだと解釈したほうが良いと思います。