俗に一時期剣道から離れて、剣道に再度復帰された方々を、リバイバル剣士、からリバケンと呼ぶらしい。
実は、熊もリバケンと言えばリバケンなのだ。高校を卒業後、6年間は、殆ど竹刀は持たずにすごした。
1年に一度か二度は何らかの事情で、仕方なく持った程度。だから完全なリバケンと言えると思う。
昔の、先生方も殆どの方がリバケンなのだ、何を言おう、わが師、羽賀忠利も戦後何年間は竹刀を手にしていない。それは戦中を生き抜いた剣道家は全て同じ条件の下にさらされたわけである。
戦後、7年間はGHQにより剣道禁止令が発令されていたからである。隠れてやっていたと言う方々も居るにはいるが、さほど多くの方々が、隠れ稽古をしていた訳ではない。
食糧事情が悪く、生き抜くだけでも大変な時代で有る。
剣道の心は持ち続けても、実際は、稽古が出来ない日々を送られた事は間違いない。
中には、楢崎九段の如く、戦犯容疑で刑務者暮らしを余儀なくされた居た方や、公職追放の憂き目を見ていた剣道家がどれほど多いか。
その事を考えれば、現代の、我等が、リバケンに成ったのと、同じ条件ではないか。そう思うと、気が楽になる。
大丈夫だ、自分達もこの後の努力次第では、範士の道も開かれていると言う事になりはしないか。
熊が此処で言う、範士の意味合いは、何も名誉的なことではなく、修行としての範士の位にまで自分を昇華させていくことができるということを言いたいのだ。
リバケンだろうが、高齢から始めようが、剣道は誰にでもその努力に公平に報いてくれる。
だから、泣き言はいっさい無い世界なのだ、自分のやっただけの事が、表に出るだけの事なのだと言う事を認識する必要が有ると思う。
昇段受験も、稽古も、何も、全て自らの努力の道しるべなのだ。 努力をしようではないか。