に対処する、これは決して偶然ではない。必ず作為が働く、だが、その作為に縛られない事が、剣道の無心だと思う。
2007年4月6日(金)
逃げながら打つ。
山岡鉄舟が残した教えに「剣法邪正弁」と言うのがある。
それにはこのように書かれている。
「夫れ剣法正伝真の極意は別に法なし。敵の好む処に随ひて勝ちを得るにあり。
的の好む処とは何ぞや、両刃相対すれば必ず敵を打たんと思ふ念あらざるはなし。
故に我体を敵に任せ、敵の好む処に来るに随ひ勝つを真正の勝ちと云う。
譬へば箱の中にある品を出すに、先ずその蓋を去り、細かに其中を見て品を知るが如し、
是則ち自然の勝ちにして別に法なき所以なり」
是を解釈すると、「剣法に別段勝つ為の特別の方法がある訳ではない。
お互いに剣を交えれば必ず勝とうと打ちかかろうとしてくるから、その相手が打ちかかろうとする所に、
随って勝つだけだ。」という意味だと思う。
では相手に随って勝つとはどんな常態か。
相手が掛かろうとする出鼻、技の起こり。必ず隙が出切る。
相手が打ってきた後、応じるなり、刷り上げるなり、変化するなりして勝てる。
相手が打ちかかろうとするところは全て隙に繋がる、それを見極めて打てばよい。
と言う事に成るのだと思う。