熊が若い頃、気は猛々しいものだと考えていた。それが気迫だと思っていた。
確かに、若いうちは元気で多少荒々しい方が気迫が出る。
猛獣が、獲物を狙うような気迫が大事なのだと考えていた。
確かに、剣道は戦いで有るから、勇ましい方が良いに決まっている。
だが、七段を拝受した頃から、師匠に言われた。
気はもっと澄んだ物ではなくてはならない。でなければ自分を見失うぞ。と言われた。
それで少し悩んだが、確かに最近は気は澄んでいなければ、本当の気迫は出ないことに気が付いた。
勇ましいのも猛々しいのも、通り超えそれで初めて澄んだ気の世界に入ることが出来る。
初めからレベルの高い気の世界になんぞ入ることは不可能だ。
宮本武蔵が言う
「戦気 寒流月を帯びて澄めること鏡の如し」
この境地に到達する為には、荒々しい、猛々しい、勇ましい気迫有る稽古を通じて、それを超越するところに初めて澄んだ気が出てくるのだと思う。
其処に来て初めて本物の気品とか、気位とかが出てくるのではないのだろうか。
マダマダ遠い境地では有る。