Canada Youshinkan Kendo Dojo

相手の足が止まる打ち

剣道にはヒットは無い。ホームラン(有効打突)か空振り(無駄打ち)だけだ。

有効打突に成らないうちは全て無駄打だと言う事を、心に刻み込ませる事が肝要だと思う。

審査の時、「当たっていたんだがな~」という言葉を良く耳にする。

おそらく、その言葉が口を突いて出ている間は合格はまず難しいだろう。何故なら自分に甘いからに他ならない。

6段、7段で約10%の難関だ、8段なら1次で10%が残り、その10%の中から、二次で10%が選ばれる。8段の話は後で書くとして、まずは6,7段について書いてみたい。

合格する人、落第する人の差は、単純、簡単に言えば、打突が決まるかどうかだ。つまり、有効打突、ホームランが2本出れば完全に合格する。

ヒットは無駄打ちだから、仮に自分の竹刀が相手の部位を捕らえていたとしても、有効打突になりえない。

ヒット打突は、打突確率を落とすだけで、風格、自信、技前、見切り、為などの観点から見れば打てば打つほど逆効果になる。

という事は、ホームランにする為の命中率を上げることを普段の稽古でやっておか無ければならない。

熊の、お粗末な経験談で話せば、7段受験に向けて、羽賀の親父から受けた指導は、「打つな」「打ちたい気持ちを出来るだけ抑えて」、と言うことだった。待つこととは違う、攻めて出ていながら、相手を慎重に洞察して、本当の機会にだけ打つという事だ。

つまり打突の命中率を上げること。打てば必ず、相手の足が止まる打ち方をせよと指導を受けた。

相手の足が止まる=有効打突は相手の心を打ち、体勢に変化が出る。つまり、相手がいついてしまうのだ。

その頃、熊はどちらかといえば、当たるを幸いに手数の多い稽古をしていた。自分で育てた生徒だけで稽古していたから、子供もまだ10代、育てた生徒もまだまだ未熟、。相手が弱かった。

だから、簡単に打てる。打てるから、逆に仇に成っていたのだ。それで、安易に打たない事で、学んだこと、打突の確率を上げることだ。

その為には、打たれて良いという腹をくくり、相手を見切り溜めて引き付けて、最高の機会に打突することだけを心がけて稽古した。

これは、後々、八段審査にも生きてきた。ただ、八段の二次は10%の勝ち組の中の10%に残らねば成らない。

では、どうすればその残りの10に残れるか。
一次を抜ける10%、7~80人はお互いがそれなりの、実力がある。だが、抜けたもの同士、お互いの実力にそれ程差は無い。

その中で抜け出るとすれば、思い切りしかない。つまり必死の中から、機会と見極めたら、捨て身で打てるかどうか、それに尽きるとおもう。

つまり二次は、度胸のよさで決まる。

裏話を書こう。熊が初めての二次に望んだ時、二名は警視庁の有名師範、一人は愛知県のサラーリーマンと、熊の4人だった。

熊は8段武者修行で、榊原範士の伝で名古屋で稽古をした時、そのサラーリマン氏と稽古をした。その稽古ではいくぶん熊が有利に戦えた。

2次審査前の組み合わせ発表の時、彼は熊と当たらないことに狂喜していた。相手二人は警視庁の先生方。実力的には、絶対に警視庁勢が有利だ。

だが彼は、打たれて元々と開き直ったのだ。それで捨てた打ちが出た。いまだにビデオで、その時の画像は確認できるが、完全な1本と思える打ちは無い。ただ思い切りよく打ち、打たれたほうは、完全に体勢が崩れ、いついていた。つまり足が止まっていたのだ。

結果、実力的に一番不利と思われる、彼が受かり、力の在るはずの警視庁勢と熊はお互い潰し合いに成り落ちてしまった。

この事からでも分かるように、二次は思い切り捨てたほうが勝つ、つまり度胸だけの皮一枚の差だと言う事を肝に銘じれば良いとおもう。

落ちた我々三人はは、警視庁で、お互い稽古したことが在り、お互い手の内が分かっているだけに、無心に成り切れなかったと言う事だろう。

八段は、必死、非情の中から、度胸を決めた人間が通るのだと思う。それで無ければ、お互い力の拮抗した相手に1本を奪うことは容易ではない。

羽賀の親父がくれた言葉を紹介しよう 「機に挑んで譲る事無く、事に当たって再び思う」

つまり、機会が来たら絶対に譲るな、終わってから反省すれば良い。とでも解釈すれば分かりよいか・・・・