Canada Youshinkan Kendo Dojo

脇が甘い

最近の高段者の試合で、面を打ったときに、左肘が上がった状態で打っている画像を良く見かける。

最近手に入れたDVD、「名人の技」の画像のなかで、そんな技が紹介されていたのにはがっかりさせられた。あれが名人の技だとしたら、臍茶ものであろう。

しかし、そんな技も審判が取るようになってきた事が、問題なのかもしれない。

全剣連が発行している、指導要綱の中でも、面を打った時の左手の位置は鳩尾の高さと書いてある。其の基本すら、高段者が出来ていないという事ではないか。

羽賀の親父が口やかましく言うには、左肘が上がった打ちは、幾ら打突部位を正確に捉えていても、あれは取ってはいけないのだそうだ。あれは絶対に刃筋が立たないうちで、切れないと断言された。

昔の、先生方の京都大会のビデオを見ていて、先ず左肘が上がって、面を打たれている画像に行き当たらないのは何故か。

親父が言うには、竹刀の持ち方が、刀の持ち方と変わってきたからだと言う。確かに、最近、竹刀の持ち方、特に左手の持ち方が違って来たように感じる。其れを平然と指導されていることを見聞きするからだ。

完全に、当てっこ剣道に成り下がり、其れがまかり通る時代になったという事か、寂しい限りである。

勿論、熊自身は羽賀の親父の教えを守り、刀と同じ持ち方をして居るが、お陰で左肘は浮かないで打てている。だが、最近、左小指を痛めたことがあり、打突時の左の握りが定まらない事がある。

そんなときに、何となく、左肘が浮き加減になる事も発見した。

昔から、相撲でも、脇が甘い事は非難の対象だが、ましてや剣道は、脇が甘くては切れるものも切れないであろう。

まあ、全剣連では、竹刀は刀の代用ではないと言う見解を示されたらしいから、あきれて物が言えないのだが、其れであれば、剣道の「剣」と言う字を外して、戦後一時的に、遣った、撓競技と名前を改めたら如何かと思う次第である。

まあ、皮肉は’いいとして、左手の握り、小指が柄から外れる握りは、脇を甘くする事だけは間違いない。

刀は、ふち頭が有るので、小指をふち金に半掛けにする事は絶対にありえない。
刀と、竹刀の使い方は別物だ等と公然と言う方が出てくるのだから、工夫が足らないと言われても仕方が無かろう。

何故なら、昔の先生方はちゃんと其れを遣っておられたわけだから、今出来ない、其れでいいという方々は、自分に甘いと言う事に他ならない。修行とは程遠いと言う事だ。

世の中、段々改善されるのなら理解できるが、改悪にどんどん流れていくのは、まあおかしな時代に成った物だと思う。