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先について、の考察

先という事で、交剣知愛@MIXの剣友に熊の考えを書いた物です。

先について、こんな逸話が残っています。

京都の武専の先生をなされていた、佐藤忠三範士九段が武専の教本を、まとめる仕事をされた時、助手の方に言われたそうです。

「本当は先の一字何だけれども、昔から本には、先の先、先、後の先と書いてあるので、そう書いておきなさい」と言われたというのです。

つまり、佐藤先生は、全てが先だと仰っておられる訳です。

その先の状態で、相手が打とうとする兆しの前に、自ら出て打つのが先の先。
つまり自分からの攻撃ですね。攻めて面、払って面、など仕掛け技ですね。

相手が打って来る所に先んじて打って勝つのが先=出小手、出鼻面、抜き胴、など。相手の技の起こりの隙を突くのが先。

それで相手が打ってきたのを返して打つのが後の先、になるわけです。刷り上げ技、応じ技、返し技等ですね。

ですから、自ら先に打つか、相手が出てくる処を打つか、相手を引き出して後に打つか、打つ機会の見た目の現象で三つに分けられていますが、全て先が元になっていて、始めて功を奏するわけです。

つまり、先とは何時でも打てる。攻めの状態の持続だと言う事です。

先とは、何時でも打てる状態である事が先ず第一。攻めきっているのが先。ですから、打つ事其の物では無いのだと思うのです。その結果打つ事に繋がる。

攻めている結果その状況に応じて打突が出る。そのことが先になる。

若し、先を取る、と言うことの理解が難しいと感じられたとすれば、其れは攻めが充分に働いていないと言う事に他成りません。

お相手を攻めきっていなかった。攻めて追い込んだ状況に出来なかった。と言う事だと思います。

こんな極端な指導をされる先生が居られるくらいです。この言葉も中々味があります。

「先先の先は後の先である」此れも同じ意味だと解釈できます。

攻めきっているからこそ、相手が引き出せて、後の業も生きる、と解釈できる訳です。先の先も、後の先も一緒だよ、と言うことです。