Canada Youshinkan Kendo Dojo

良い立会い

京都大会や、東京剣道際等で、高段者の立会いを拝見する機会があると思う。
若しそんな機会が無かったとしても、高段者の試合くらいは見る機会もあるのではなかろうか。

其の中で、此れはあくまで熊個人の見方なのだが、良い立会いとそうでない立会いの比較対照がある。

良い立会いとは何なのか、では悪い立会いとはどんな立会いを言うのだろうか。それは当然、人それぞれに見方が違うと思う。だが、演武者の個性にも寄るが、熊は一つの基準を持て拝見させて頂いている。

要は、演武者がどれだけ、真摯に、真剣に遣っているかどうかで決まる。意外と、本人は真剣に遣っている積りなのだろうが、其処には落とし穴が幾つもあり、見ていてがっくるすることが少なくない。

1 演武者の試合場の出入り、正しい礼法、正しい携刀姿勢、すり足で、気迫ある態度で、入場しているかどうか。先ず、此れができていない立会いは、あまり良い立会いが期待できない。

何故か、今から戦いに臨むものが、微塵の隙も、油断も有ってはならないのが当然で、其れすら出来ていない場合は立派な良い立会いができるはずも無かろうと思うからである。

2 蹲踞から立ち上がりが気迫に満ちて、剣先を合わせたとき、触刃の間から、交刃の間での攻め合いが見られるか。

お互いの気迫、集中力が高まっていれば当然、其処での相手の出方、攻めを感じられるはずだ、当然良い立会いならここでの真剣み、相手の動向を探る、慎重さが出ていなければ、単なる叩き合いの立会いになる事が容易に予想される。

だが、意外と多いのが、立ち上がり、行き成り、交刃の間に入り、そこで攻め合いをしているのが多い、此れは、此れは本当の攻め合いとは言えない。

早く叩きたいとの心の現われで、間合いが理解できていない。つまり、打ちたい焦りが見える訳だから、見ていて真剣みが伝わらない。だから、良い立会いにはならない場合が殆どだ。

3 十分な攻め合いがされているかどうか。平凡な立会いは、攻めが無いから、手数が多い。つまり無駄打ちが多い。良い立会いは真剣そのものだから、そう手数が出るはずが無い。真剣(刀)でたたきあいは出来ないからだ。当然、良い立会いは無駄打ちが無く、一発必中の太刀裁きが見られることになる。

一発必中の立会いは、攻め合いが充実していなければ、出来ることではないからだ。攻めが無いのは単なる叩き合いでしかない。攻めて相手が、崩れた所を打つから、決まるのである。

4 間合いを嫌い、後ろに下がる立会い。駆け引きで勝負をしようとしているので、上手さは見れても充実した剣道は見れない。お互い満を持して戦う。「お互い一歩も引かず」と言う言葉があるとおり、其れでこそ、本当に立会いの意味があると思うからである。

大体、こんなところを観点に入れながら拝見させて頂いている。剣道、見取り稽古とは、よく言われるが良い立会いを見て判断する能力が出来て初めて、得るものが多くなるのでは無いのだろうか。

其れと、此れだけは確実なのは、立会いが終わり、桟敷に戻り、其の後の態度が拙い人に良い立会が出来た人は皆無であること。意外と残心を忘れている人が多い。道場だけが立会いの場ではない。其のことも気を付けて見ていたら、面白いと思う。指導者としての格が有るかどうか、良い判断材料になるからだ。