Canada Youshinkan Kendo Dojo

「竹刀の好み」

竹刀の好み、恐らく剣道をする人間なら、幾らか自分の好みが有るものと思う。
同じメーカーの同じ作りの竹刀でも、微妙にバランスも違うし、感触も違う。

熊は手が小さい。子供の頃から、小手の中に手を入れ続けてきたために、手が成長しなかった。その代わり肉厚に成った。と冗談で言っているが、真に受ける人がたまに居る。笑

高校生の頃、握りの細い竹刀が好きで、38の佐渡の鉄心(幻の名刀)を、わざわざ細く削ってもらっていた。その道具屋さんは、富山市入舟町に有る、山内武道具店の親父さん。熊の家からは汽車を二回乗り継いでいかなければ成らず、月に1回行くのを楽しみにしていた。

多分今も元気で居られると思うが、もう80歳を超えておられるのでは無いだろうか。
本格的に修行をした職人さんで、嫌な顔一つせづ、何でも直してくれた。
当然細く成った竹刀の握りにあわせて柄革も細く縫い直していただいた。

大人に成り、富山市に引越し剣道を再開して、またお世話になりだしたが、その頃はまだ鉄心が容易に手に入りはしたが、段々値段が高くなり昭和50年当時価格で12000円。
その佐渡の名刀の竹薮に花が咲き、竹山が全滅したとかで、今は幻の竹刀になってしまった。

その鉄心なる竹刀、肉厚で繊維が細かく、非常に長持ちした。昭和前期の名人中山博道範士が愛用されて、東京では非常に人気の高い竹刀で、昭和後半は中々手に入らない竹刀だった。

今熊の手元に2本の鉄心が秘蔵されている、その内1本が完全に肌を飴色に色を変えて保管されている。その竹刀は、熊の先輩、先生が、中山博道範士から頂いた物だと聞かされている。北陸金沢出身の博道範士は一時富山にも居住されて居たらしく、良く富山を訪れられたらしい。

その竹刀が俗に言う古刀作り。戦前に削られた鉄心と、戦後の鉄心、焼き盤の位置が違う。今は皆、名前文字を彫刻し打て有るが、当時は焼き盤、焼きコテが当てられていた。

それから、昭和の50年頃から胴張りなる竹刀が流行り始めて、60年代後半には、握りの極端に太い極太なる竹刀まで出てきた。

そしてその流行に御多分に洩れず熊も一応流されて、色々な竹刀を使ってみた。
胴張りは返し技が遣りやすい、だとか、古刀造りは面が打ちやすい等と、実しやかに囁かれたが、理由が考えられなくも無い。胴張りは、先が軽くなる。古刀は先調子。

だが、カナダに来てからは、竹刀の購入は非常に難しくなり、まとめて50本~100本購入した。その都度、メーカーが変わり、調子もバラバラ、有るもの何でも使うことになる。
勿論、割れ竹の後家で組んだ竹刀も使わなければ成らない。そのうち好みが無くなってしまった。

というより贅沢が言えなくなっただけの事。100本の竹刀と言えども親子三人で使うわけだから、1~2年で廃品になった。此処最近バンクーバーにも道具屋ができて、竹刀は簡単に購入できる。去年京都用に、1本は古刀作り、2本は極太握りで仕込み柄革を短く詰めてもらった。

その、極太の柄革も使い込むにつれ、革の表面がツルツルに成り打った時左手が滑り出した。確かに手の握りが疲れない利点はあったが、滑るようでは困る。去年の暮れ、新たに3本古刀造りで仕込んだが、その竹が真竹にも関わらず、一月で全部割れてしまった。

此処ではセントラル暖房で竹刀が極端に乾燥する為で、道具屋にそれを報告したら新しい竹刀、真竹を二本タダでくれた。これも古刀造りだが、握りがやや細い。

細い握りの竹刀は長時間稽古すると手の指が非常に疲れる。今それで丁度いい太さの握りの竹刀を探している。来月新しい真竹の竹刀が何種類かコンテナでドンと入荷するらしい。

必ず電話をしますから、先生の好みの竹刀を選んで下さいと、道具屋の社長が気を使ってくれた。ただ、熊が好みの竹刀だと言うと、道具屋が熊先生仕様等と宣伝に使われかねないので、うかつに選べない。苦笑。

事実去年は、熊仕様を店に飾らせてくれと頼まれたが断った。宣伝効果が有るのかときたら、やはり影響力は有るのだという。熊仕様は高くても売れるのだそうだ。笑。

日ごろ世話になっている道具屋さんだから、それくらいの協力はしてやっても良いかなと思ってみたりもしている。握り中太の古刀作りで先軽の竹刀で柄革長さ29.5cm、それが今熊の手には馴染む。竹刀竹刀