Canada Youshinkan Kendo Dojo

「一生掛かるものパート3」

剣道人生で一生掛け無ければ中々身に着ける事が出来ない事柄をシリーズで書いてみています。

1は脱力、自分の力が自分の邪魔をするという話でした。力みからの脱却の話。
2は反射神経、運動神経を超えなければ本当の剣道が出来ないと言う話。不動心の話。

で三番目の話は、自分の煩悩、本能との戦いです。
現代、我々が学んでいる剣道は竹刀と言う、安全な武器に防具と言う堅牢道具に身を包み、非常に安全で、不慮の事故で無い限り、怪我や死に至る事は先ずありません。
精精多い事故といえば稽古中にアキレスを切る程度でしょう。

これが刀や木刀での叩き合いなら、話は全く違ってきます。
即、怪我をするか、死にいたることは必定です。これなら怖いのは誰でも理解できます。

ですが、さほど怖くない竹刀を使っているにも拘らず、打たれる瞬間からだが硬直したり、頭を振って逃げたり、後ろに下がって逃げたりするのは何故でしょう。
それは誰もが本能的に打たれることを嫌うからなのでは無いでしょうか。

本来剣道は手に竹刀という武器を持ち、その武器を使い相手の打ち込みの頭を抑え、打ち込みを外し、体捌きで避け、技を返すのが本道のはずです。

ところが打たれるかもしれない瞬間は、かなりの方々が頭を振り逃げる事をする。
かなりの高段者の中にも散見されます。まあ、さすが八段に成ると少ないですが。
これは何故だと思いますか、打たれることを嫌う本能がそうさせるのだと思います。

打たれることを嫌う煩悩。お互い面を付け道具に身を固め、打ち合いをしている訳ですから、必ず打たれる。それを嫌う本能。矛盾していると思いませんか。
打たれることを嫌うのであれば、面をつけなければ打たれない。これも難しい課題ですね。

これも一生掛けて、打たれることを嫌う自己の本能と戦わなければ中々身に着きません。簡単なようですが打たれる度胸は中々身に着かない物です。
でもこれも早く身に付けた人の勝ちです。姿勢の崩れが無い剣道は美しいです。

現代剣道が、芸術、美を求めると言う事であれば尚更一日も早く崩れの無い剣道に成るべきだと思います。打たれることを嫌う自己との戦いです。それを超えて初めて高尚な所に行けるのだと思います。