剣道形には5つの構がある。だが実際は現代剣道では、上段、中断、中段の変形(平正眼)の構えくらいしか使われていない。勿論二刀の構も、有るのだがここの議題ではないので省く。
宮本武蔵は、五輪書地の巻きで、「構は構える為に有る物ではなく、打つ為の構に他ならない」と言う意味のことを言っている。
又、千葉周作は、品の良い構で、隙の無い構は十分な勝ちを得ることが少ない。
相手に打ち込ませるだけの隙のある構のほうが十分な勝ちを得ることが出きる。
だから形の構に隙を作り、心の構に十分油断の無い構で無ければ成らないと言っている。
つまり、千葉周作の構え論は誘いの構とでも言えると思うし、宮本武蔵は、構は打つための構えであって、身を守ることだけの構ではない。と解いているのだと思う。
良く、言われる事だが、上段は火の位。相手を呑んで掛かる構えが上段だと言う。だが中段の構えにした所が、相手を飲む気位で激しく攻め立てられる構えでなくては意味を成さない。
又、宮本武蔵は、構えなど如何でも良いとも言っている。有構無構の教えがそうだ。
構えありて構え無し。構えようと拘れば、それはもう既に死に体に成る。
構えているけど、構えなんかに頭(意識)を取られるな。と言っているのだと思う。
こうしてみると、構えとは、その都度その都度変化に応じて使い分けなければ成らないのだという事が解る。
時には誘い、時には強く攻めたたて、攻撃につなげる構え、だけどその構えに心を奪われる事無く自由な働きをしなければ成らない。それでなければ構えの意味が無いという事だ。
だが、その構えを意識しないで、自由闊達に構えを働かせる域に達するまでには、やはり形を作り上げなければならない。
その段階を踏まえて、超えて初めて、上に書いたようなことが出きるのだと思う。
剣先を何処に付ける、左手の位置、握り、腰の入れ方、足の踏まえ方、足幅、右手の握り、等など数え上げれば切が無いほどだが、やはり形を整えてから、其処に行かなければ効果は得られない。
たかが構え、されど構え。構え一つでも奥が深い。