熊が、7段の頃、中西康範士に、「八段受験を目指し、京都大会に参加するように」言われた。そろそろ準備として、自分の実力と、剣風、名前、顔を先生方に覚えてもらい、受験の準備をするように。それで、受験資格が来る、5年前から、京都に出かけた。
海外に住んでいても日本の一流の範士の方々が、何かの機会でカナダに来られていたので、かなりの先生方とは懇意にしていた。京都では毎朝出きる限り先生方に掛からせて頂いた。
勿論、試合も出させていただいた。確か初めての立会いは、富山剣道連盟から出場させていただいたように記憶が有る。その年の夏、日本の警視庁の主席師範 で、後にに九段に成られた先生から熊はカナダで活躍しているのだから、カナダから試合に出なさい。又審査もカナダから受けなさいと言われた。だから、二年 目から、カナダの選手として参加させて頂いた。
不思議な事に、7段で8回、京都大会に参加させて頂いた中で、7勝1引き分けの成績で、有った。有る時、有名な大阪の7段の先生に30秒で秒で2本勝ちし てしまった事があった。その先生は大阪府警の先生らしかったのだが、此方はお相手の強さを知らないから、普通通りにやったのがマグレで勝てたという事だろ う。
西善延範士からは、「上手く使ったな」と言われるし、小沼範士からは、全剣連のテントの中に居た、数人の先生方に「熊強し」の話しが出たらしい。
熊は、相手を知らないから、先入観が無い。唯それだけの事だと思っていたが、
全剣連のテントの前を通りかかった時、顔見知りの某範士から、「あまり強くなり過ぎると敵を作るぞ」と、たしなめられた。不思議な事を言われるものだと嫌な感じがした。
その時非常に不審に思ったのは、剣道は強くなるための修行では無いのかと言う事である。今まで、剣道の稽古はすれば当然強くなる、又強くなる為に稽古をしているのだと考えていた。だが、その人の目から見ると、どうも違うらしい。
だが、その後も偶然は続いた。毎年勝ち続けた。一度だけ、2月の交通事故の鞭打ちを抱えたまま参加したとき、初一本被き小手で、先制されたが、すぐに面で取り返して、
引き分けた事が有る。それが七段では最後の立会いになった。
だが、八段での立会いは三戦三引き分け、中々簡単には勝ちを頂けない。
だから、変に、敵も作らなくて良く成ったのだと、変な納得をしていたりもする。