今、大相撲の初場所がカナダでもテレビで観れる。
今日の紹介で、横綱の土俵入りにも、上中下三段の構えが在るのだと解説されていた。
又、懸賞金を受け取る時の、手刀は、心と言う字を書くのではなくて、三神に感謝する意味合いを表すのだとも解説されていた。
実力主義の相撲界、番付け次第で座布団まで名前入りとそうでない物とが在るのだと知った。幕内だけが、名前入りの座布団に座れる。恥ずかしい話だが、知らなかった。
しかし、古式豊かに、厳かに行われている大相撲の中でも伝統は無視?されてきたのか、意味合いを理解していない関取が多くなってきたのか、指導者が、そう 言う、細かい事の説明を力士にしなくなったのか、どうか分からないが相撲界でも伝統文化がないがしろにされてきていたと言うことも知った。理事長から通達 があったと聞いた。
国技とされる、大相撲の世界では、もはや日本産の横綱は存在しない。
此処最近の横綱を見れば一目瞭然。アメリカ産が二人。モンゴール産が二人。
その中間に日本産の兄弟横綱が一時君臨した。
おまけに、今場所の大関陣はまがいなりにも大関らしい相撲は余り見て取れない。
若手の活きの良い処が台頭してきてはいるが、相撲の面白さに掛ける気がする。
勝てなくなった相撲取りは番付も下がり、引退を余儀なくされる。
何かこの縮図を見ていると、剣道界がまさに、同じ軌道を走っているように感じてしまう。選手、だけがもてはやされる剣道界。一般の剣道愛好家が底支えをしていることを忘れてはいけない。だが、初段受験者が激減しているらしい。
全剣連ではまだ、未登録も在るので、実質どれだけ減少しているかは把握していないそうだ。のんびり構えて居られるものだ。
剣道が世界に普及する事はそれはそれでいいことだと思うが、伝統を無視した剣道が果たして剣道と呼べるかどうか。魅力在る剣道と言えるかどうか、目先の勝利だけ見ていて、試合偏重の剣道が世界に広まりつつ在る剣道は、柔道と同じ道を歩むに違いない。