今日、熊の手元に剣道日本5月号が届きました。
その中に熊が尊敬する二人の先生の紀行文が載っていた。
一人は、佐藤博信範士であり、一人は森嶋建男範士である。
以前、熊のつぶやきやの中で世界大会の敗北を予言して、試合剣道の弊害について、書いた事があった。
日本が負けた悔しさからか、お前が手本を示せなどと、その記事を読まれ数人の方々から、異論を述べられてきたが、
ここに来て、やはり日本の大先生方も、今のママの剣道ではいかんと、同じように警鐘を鳴らしておられる。
やはり剣道は、当てっこではなく、地のある、腹と気の剣道を習得せねばならないと言う事を力説しておられる。
森島先生などは、「三年間試合を一切やめて、基本からやり直して、心の修行をしろ」とまで喝破されている。
それくらいの覚悟が無ければ日本の剣道界は良くならないとまで言われておられます。それを考えますと、
剣道修行は、自分の考え方で、その到達できる境地、天と地程差が出てくると考える訳です。
激しい、気を練る稽古が行われなくなった今、何故、親爺の実兄、羽賀準一先生の稽古振りが、貴重のものとされて再度取り上げられているのか、
やはり、市井の我々剣道かが一人一人心して、剣道の基本に立ち返らなければならない時に来ていると考える次第であります。
本来、カナダで素人剣道愛好家が、日本に向けてこのようなメッセージを発せざるを得ないこと事態日本側では猛反省をしなければ成らないのだと考えます。
何を、生意気な、と感ぜられるか、そうだ、その通りだと、感じられるかは、その方の資質でしょうが、
私の言っている事は、今、日本の大先生方が、口にしておられる事と同じなのです。
それを熊は大先生方より、少し先に口にしていただけに過ぎません。
偉そうに言うつもりは毛頭ありません。剣道を心から愛し、その無形の文化をできるだけ正しく世界に繋げたい、その一念で人生を掛けてきました。
人は熊の事をバカダと言います。子供も、親爺の真似は出来ない、と言います。勿論、熊自身とて、もう一度同じ人生を歩めと言われれば、はっきりNOと言います。
でも、今、自分の人生を振り返ってみても、後悔はしていません。逆に充実した人生だったと誇りにすら思っています。
この後どれだけ、剣道界に恩返しができるか解りません。ですが、生きている間自分が修行を続けていく事が、後進の何かの役に立つのだと信じて、未熟な修行を続けてまいる所存です。
それだけ自分にとり、剣道から学ばせていただいた事が大きい。感謝しても感謝しきれるものではありません。