世の中に、剣道の指導に携わる人々はどれくらい居るのだろうか。街のスポーツ少年団で指導をしている人、自分の道場を持ち、そこで指導をしている人。学校などの教育機関で指導をしている人。警察関係の、署員への指導、学校、機動隊での指導。
其の他に有るかもしれない。其の中には、恐らく二~三段で、指導をされている方々も御出でになるだろうし、範士の方々も御出でのはずだ。
熊が、指導をしている、生徒が夏休みを利用して、日本に帰り、2ヶ月日本で指導を受けてカナダに帰国して、稽古を見たら、なんとまあ~、と嘆かわしくなってしまったことがあった。
良い癖を付けてくれればいいのだが、悪い癖を付けられてしまった。其の子は、今年の春、1級を受けて見事に落ちてしまった。一度着いた癖は中々直せない。まして子供ならなお更である。
羽賀の親父が、道場連盟副会長の席にあるので、以前、道場連盟講習会の、講演で参加者に話したことがあると聞かされたことで、「デモシカ先生にはならないで下さい。」と言うのがある。
デモシカ先生、とはどんな、先生のことだろうか。剣道を少したしなんで、会社を定年したら、剣道の先生でもやるか、のでも。私には剣道しかありません。のしか。
この講演がどんな内容だったかは定かではないが、参加者は皆、先生耳の痛い話で・・・と言っていた。とのことだった。何が耳が痛いのか・・・・・・・
デモは、簡単にやれるであろうと言う好い加減な気持ちがある。
シカは、剣道だけしか見えない、視野の狭い方。
こんな指導者に、教えられる、生徒のほうは大迷惑なわけだ。だが、こんな指導者が全国にはウヨウヨ居るらしい。其のときの講演で羽賀の親父が皆さんに提示した一つの言葉がある。
幕末の偉人、吉田松陰遺訓
妄りに人を師とするべからず、真に学ぶべきもの在りて師とすべし。
妄りに人の師となるべからず、真に教ゆるべきもの在りて師となるべし。
熊はこの話を聞かされてから、何時も自問自答を続けてきた。自分は真に人に伝えるべき本物を持っているのだろうか・・・そのための勉強はしているのだろうか。其の思いは未だにある。
特に剣道では、教えるための資格など要らない。誰でも教えたければ教える立場になれる。
特に海外では、何でも有りに成る訳だ。ホラ、張ったり、偽者がまかり通る。
自分が、人を指導する立場の人間なら、一番大事にしなければならないこと、それは自分自身が本物を勉強する、それを死ぬまで続ける其の意志だと思う。
羽賀の親父は、90を過ぎて尚、万巻の書物を読み、熊に指導をしてくれる。其の点では、
妄りに人を師とするべからず、真に学ぶべきもの在りて師とすべし。良師に関する問題は無い。
問題があるとすれば、
妄りに人の師となるべからず、真に教ゆるべきもの在りて師となるべし。
この部分だ。熊自身未だ、未熟な8。まだまだ、勉強が続いている。
しかし、勉強すらしないで、段だけ欲しい、指導者としての立場、かっこよさだけ欲しい。そんな人が多すぎる気がしてならない。そんなに人から先生と呼ばれたいのだろうか。周りを見渡してもそんな方々がウヨウヨ居る。
剣道家が剣道の本質(修行)を見失い、名誉欲に走れば、それはもはや剣道ではない。