Canada Youshinkan Kendo Dojo

武者修行回想

昨日、カナダに帰国、あわただしい一日が過ぎた、だが、時差ぼけ予防のために稽古には出た。
そして感じた事、日本の稽古では、皆さん一応に間合いが近いと感じた事だ。昔からの教えがある、触刃と交刃、この間合いを意識してお稽古している方が非常に少ないと感じた。

特に今回、昨年の課題として、野正範士に間を詰められてどうする事も出来なかった反省があり、絶対に攻め負けず、機会が来たら捨てて打てるか課題にしていた。
それで、今回、野正範士には1mmも下がることなく、先生が間を詰められようとした瞬間、完全に捨てて打てた。つまり触刃から交刃になる瞬間に捨てて出れた。
二本目も同じ面が出た、二本とも先生の剣先は、熊の喉元を掠めて外れた、三本目も同じ機会に面に飛んだ。
範士は思わず胴に返されたがそれは遅れてタレに当った。それで先生は「ウン」と頷かれて、剣を納められた。

賀来範士にも毎回間合いで翻弄されてしまうので、気攻めと、触刃、交刃で捨てる事を意識して望んだ。今年は翻弄される事無く、熊のペースで稽古が出来た。
お二方とも生まれて初めてのことだ。昨年1年、左手と腹を意識して攻めて捨てるを意識した一年であったが、間違いは無かったようである。
両範士共、毎年のご意見ご指導が無かった。タダ、満足げな面の中のお顔が印象的だった。稽古の後、感謝の気持で深々と頭を下げた。

そこで、今年は又新たな、問題を発見したくて、10年ぶりに山口のF範士にお願いをした。八段大会3度優勝のつわものである。
同じ手法で、面に飛んだ。間違いなく、1本目と2本目は面に届いた。だが、三本目が面に炸裂したかと思った瞬間、返し業の応酬に合い、短い打ち合いの中、手元を浮かされて胴に切られてしまった。
捨てきった後の残心の問題があるようだ。捨てた打突の後は、打たれても構わないと言うのは初心者の間の事だ。八になればその所の充実も欠けてはならないと思う。

さすが、F範士、只者ではない。当たり前だが、でもF範士は非常に喜んでくれて、以前のお稽古も覚えておられて、「10年ぶりだね、腕を上げたな」とニヤリと笑われた。
来年の課題、充実した攻めから、捨てた後もいかに残心を完全に残せるか。又新たな楽しみが出来た。
F範士、来年もよろしくお願いいたします。礼を述べて、先生も嬉しそうに、うんと頷かれて、再会、熊の再挑戦を快く受けて下された。ありがたい。ありがたい。

やはり一年に一度は、京都に出かけて、自分の未熟を発見せねば、進歩などありえない。
先生方、いつまでも元気で、ご指導を心より、お願いして、感謝の辞を述べさせていただいた。