Canada Youshinkan Kendo Dojo

自分を知る、全てはこれから始まる。

俗に、見取り稽古とは良く聞く言葉である。

だが、本当に、この、見取り稽古の意味が理解できて居る人がどれだけいるか、はなはだ心もとないのが現状だ。

今まで、色々ご指導させて頂いて来た中で、言っちゃ悪いが、この人は、良くなるな、この人は駄目だ、が直ぐにわかってしまう。笑

それは何故か、要するに、見取りが出来ない。見て学ぶことが出来ない?いや、しない人が意外にも多いからです。

昨日も、自分の道場で、打ち込み稽古をしながら説明したのだが、熊の説明が理解できないのか、見ているポイントが全く違うのか、遣る事が全く違うのが沢山居る。笑

こんな人が非常に多いのです。

仮に、足の説明をして、見本を見せて、皆にやらせてみる、その動きの中で、熊と同じ遣り方を模倣する事ができるか?

はたまた其れを遣ろうとする姿が其処から読み取れるか?もしくは、遣ろうとする努力をしているか?

ここが見てしまうので、説明して見本を見せても、トンチンカンな事を平然と遣っている。こんな方は、正直望み薄なわけです。

熊の若い頃は、指導者は余り説明してくれませんでした。見て盗めが指導だった。

今は皆さん指導者が親切になり、微に入り、細に入り、説明してくれます。

だから聞くほうも、余り真剣に聞かない風潮が広がってきているように感じます。

先日の講習会でも、説明させて頂きましたが、自分の動きが今どんな動きをしているのか、自分の体の動きが解らない人は、どこが悪いのか理解できない訳ですから、説明を聞いても自分自身直しようが無い。

自分で自分が、解ら無い人を、他人が解るわけがないでしょ。笑

だから、言うのですが、自分の稽古を難しくしているのは自分ですよ。と・・・・・

まあ、理解力、とでも言いますか、繊細な感受性があるのか無いのか?

見取り稽古は、盗む相手の、足のつま先から、頭の毛の先まで、見て、自分の動きと異なる事が、見て取れて、注意深く繊細に比べられないと、見取り稽古とは言えないのです。

ですから、先ず最初に、自分を知る、此処から始めないと、物にはなりません。