剣道修行者なら、誰でも目にする言葉、「百錬自得」まあ、言い換えれば数を掛けて自分でものししろということなのだが・・・・・・・・
もし、其の方向性に誤りがあったとすれば、大変なことになる。
百錬=非常に熱心に体を掛ける。それが間違っていたら、単に骨折り損になるだけでは済まされない。
剣道は、嫌なことに、其の間違った稽古を続けると、それが癖になる。
一度其の悪弊が身に着くと、矯正に三倍の時間が掛かるのだ。
なぜなら、今まで、掛かって身に着いた悪弊を直す時、同じ時間を掛けて0地点元に戻る必要がある。それで其の悪弊が完全に出なくなるまでニュートラルを維持する時間が要る。
それが維持できるようになって初めて、いいほうの遣り方を、百錬で身に着けなければならない。
一度悪弊が身に着くと矯正に三倍時間が掛かるわけが理解できるだろう。そこで、大切になるのが、先輩や、師匠の指針になる。
剣道修行を富士登山に例えると、山を登る時、原則的には365度何処からでも上れるはずだが、高度が増すにつれ、その道は限られてくる。
その道を誤れば、遭難事故にもつながりかねない。だから、出来るのであれば、最初から、正しい方向を知る必要が有るのだ。
百連自得、自分の方向性、剣道で進むべき道のりを、早く正確に物にしたものだけが、その機会を与えられるのだ。
ただ何でも遣れば良いのではない。しっかりとした、正確な地図の上を間違いなく歩く。
その、努力でなければ意味を成さないことを我々は知るべきだと思う。