Canada Youshinkan Kendo Dojo

納まるところへ

最近、稽古の中であれこれ考えることも無くなって来た。若い頃は色々拘りを持ち構えが如何の、剣先が如何のと、肉体的に矯正できるところは、こだわり続けていたが、最近其の拘りが無くなった。肉体に一々気を使わなくなったといえばいいのだろうか・・・・

だから、稽古中は、殆ど何も考えずに、本能が司るまま稽古をしている。体が勝手に動く。
また勝手に動いて打たれる事も有る。それもまた楽しい。全てにおいて、自然に本能が命じるままに稽古をしている。

だからだろうか、長年の稽古で、だんだん納まるところに納まってきた様な気がする。一応、肉体的な動作に関して、一応の完成度、いや、肉体的、限界を見たのかもしれない。後は心の問題だけに成ってきた気がする。

勿論60を超えれば肉体的に、落ちない稽古には心を配らなければ成らないが、この年から、筋力の発達は望むべきも無い。だから心の問題に移行しているのだと思う。これが自然なのだとも思う。

心の問題で、一番早く、取り組んだのは、ハッとしない事だ。50を過ぎた頃からだと思う。ハッと息を呑めばそこが隙になる。
つまり居付く事に成るからだ、で大分ハッとすることが少なくなってきた。「クンパハカ」のお陰だと思う。これも取り組んで、なんだかんだ10年は掛かった。

そして、今取り組んでんでいるのは、欲を出さないことだ。下手に欲を出せば見えるものが見えなくなる。そこを打たれることが多い。心が曇るからだ。

其の欲も大分消えてきた。飾る心も消えてきた。今、剣道と戯れている。そんな表現が当てはまるのかもしれない。稽古が楽しい。ただそれだけで、稽古をしている気がする。

いよいよ、納まるところへ納まってきたのだと実感している。だがまだ、自己の剣道が完成した訳ではない。本当に、棺おけに納まった時が、其の時点で熊の剣道が完成した時なのだろう。