先日、6月15日に、東京中野区の剣道教室にお邪魔した。これは、インターネットのサークルで、交剣知愛@MIXの中で、養心館の分室なるものがあり、そこに集まる連中が是非、熊と東京近郊で稽古会が持てたらと言う、希望を、叶えんが為に、実行された稽古会でした。
そこの師範は脇本三千雄範士、この要請を快く受け入れてくださり、おまけに中野区の他の会員の方々も集まり、盛大な稽古会になった。
そこにもっと驚くハプニングがあった。稽古会の途中から、佐藤博信範士が、わざわざ熊の為に来館されて、お稽古をいただく事に成った。
佐藤範士とは、25年のお付き合いに成る。嬉しいではないですか、お話を伺うと、その日は三度目のお稽古だとか、朝稽古、午前の稽古をこなされて、ここに駆けつけてきたのだと伺った。
わざわざ、熊ごときの為にお稽古に出かけてくださり、皆さんの前で紹介のお話まで頂けた。そして、講話も頂いき、参加された皆さんにはなむけが出来た。
そして熊が頂いたお稽古、確か10年振り位ではなかろうか、お年も77歳になられたとか、相いも変わらず、何処から攻めても、びくともされません。失礼を省みず、あえて申し上げれば、やはり化け物です。この先生は。
ただこのお稽古を頂く前に、脇本範士が、皆さんに正座を要請されて、拝見の形を整えて頂いた。もったいない設定に、熊は、捨てることが出来るか、自分の攻めをいかすことが出来るか、その二つを念頭にお願いした。
気分的には、何ら気負いも無く、自分本来の姿でお稽古がいただけたと思う。わずか三太刀だけの遣りあい、真剣勝負なら、そんなに沢山は切り結べないはず、一太刀に全てを掛ける積りで望んだ。
一太刀目は熊が面に飛んだが僅かの所で、交わされてしまった。
さすが見切りの素晴らしさに驚愕の思いでした。やはり名人です。
二太刀目は、思い切り責めて出て、範士が受けに回られたところを、お小手を頂戴した。自分ではあまり関心出来た小手ではなかった。何故なら捨てきれたかどうか?様子を見ながら打ってしまった。
三太刀目は熊が思い切り攻めて出ようとした、その気の起こりを見事に小手を抑えられてしまった。今までここを打たれたことが無かった。
さすが、受けに回ると、機会を見られるとお感じに成られたのか、二度と同じ手は通用しない、完全に機先を制されてしまった。
その機会の捉え方はまるで、気の触角でもあるかのごとき、こちらの気がまるで鏡に移るがごとき、機会の捉え方。
恐らく、名人、佐藤博信範士だけが出来る境地なのではなかろうか、今まで、何方とお手合わせ頂いても、その機会は打たれた事が無い。
京都大会の朝稽古でも、たくさんの範士にお願いしたがその機会は誰も教えていただけなかった。
昔から言う、負けに不思議の負けなし。何か熊の至らぬところがあるから、その機会を捉えられたわけだから、そのことを大事に記憶に留めたいと、そこで、太刀を引かさせて頂いた。
上には上がある、「山々雲」とは言うが、同じ八段でもこれだけの差が有る。やはり九段制は復活すべきだと、しみじみ感じた。
八段大会、怪我をはさんで、4回連続優勝は名人で無ければ出来ない偉業。こんな先生を九段にしない、悪法は改めるべきではないのだろうか、そのために、八段になったら修行を止める?剣道家が続出していると聞く。
強くない八段がゴロゴロ居ると言うのだ。最高位が八段なら、そう言う事にもなりかねない。これ以上、上が無いとなれば修行の気が緩む。
京都で、井上義彦範士から話を聞いた。今の八段は昔の七段くらいの強さしかない。試合試合で当てっこばかりで上がってきているから、稽古に重厚さが無いと言われた。さもありなんと感じた。
しかし、ありがたい、一教え子の為に、貴重な時間を割いて、お稽古に出かけて頂ける。熊は本当に幸せ者だと、つくづく感謝した。
そしてやはり自分の師匠の選び方に間違いが無かったと改めて感じた。
誰かが言った、師匠は、位が高ければ高いほど良い。
学ぶべき位が高ければ高いほど引き上げられる位も高くなるからだ。