Canada Youshinkan Kendo Dojo

「稽古態度」 

打たれて首を傾げる人、打たれる瞬間に首をかたげる人。どちらも頂けない。

打たれて首を傾げる人は「可笑しい、自分が打たれるはずが無い」と考えているからか、不満そうに首を傾げる人が多い。お相手に対して失礼だと思う。

打たれたら謙虚に認めて、感謝する気持ちが欲しい。熊は打たれたら、「ハイ、頂戴」
と相手を褒める事にしている。勿論下の人と遣る時に限るが。

上の方と遣る時は、打たれて当然なので、打たれて目礼だけである。恭しく頭をさげる事はしない、何故なら打たれて当然、其れを謙虚に認めるだけで良いからだ。

上の先生と遣って打たれて、恭しく頭を下げると言う事は逆に上の先生取り失礼だ。
とすら考えている。お相手を尊敬してお稽古を頂く、打たれて当然な先生には黙礼で十分だ。

逆に考えて見たら分かる、お相手が自分より下の人に打てて当然な方に、恭しく「イヤア~参りました」等と遣られてご覧、この人自分の方が上だと思っているのか、と疑いたくなる。だから素直に、目礼だけで済ませた方が気分が良い。

さて、モウ一つ、打たれる瞬間に首をかしげて逃げる人。この人はまだ心眼が開いていない。反射神経で相手を見ているからだ。だから反射的に逃げる。これもまだまだ。

剣道で、大切な要素に、不動心、平常心による、見切りがある。相手の打突を何処まで冷静に見切れるか、頭を振った瞬間其の見切りは消えているはずだ。

何故なら、視線が動けば当然、景色は流れる。汽車に乗ったら分かるだろう、線路脇の電柱が飛んでいく、あれと同じ現象だからだ。視線が動くか、景色が飛ぶか、同じだ。

ではどうしたら、首を振る事を直せるか、其れは自分を恥じるしかない。首を振ったら自分の負け、心を打たれたということを率直に認め、打つ、打たれるでは無いのだということを自分の信念に言い聞かせるしか方法は無い。

とは言うものの、これは中々に難しい。だからこそ、これが出来れば格がぐんと上がる。姿勢の崩れがなくなる事、すなわち、立派な剣風が身に着く。
だから、何をおいても首を傾げない努力をしなければ成らない。と考えている。

その為には、潔く打たれることも大事だ、熊は、首をかしげて逃げるくらいなら、潔く打たれたいと考えている。心を打たれて、逃げた所で、惨めさが心に残るだけだからだ。