三磨の位は柳生新陰流の極意だそうだ。三つの大事な要素、習う、工夫する、鍛錬する
これを繰り返し繰り返し遣る事により、らせん状に上に上達して行くのだと聞いた。
逆に言えば、どれが欠けても、上達はおぼつかないと言うことに成る。
又、習うも、良師に付かなければ、とんでもない事になる。
工夫も、天然自然の宇宙真理、合理性に基づいた工夫でなければ意味を成さない。
鍛錬も、無理ムダがある鍛錬では効果が少ないばかりか、肉体的に故障を引き出す事になりかねない。
こう考えてみると、単に、三磨の位と簡単に言うが、其処には其処で、正しい事が求められる事になる。これだけ情報が飛び乱れ、何が正しくてなのが正しくないかの判断が難しい世の中では、やはり素直な心で、直心で事に当たるほか無いようである。
下手に我欲があり、欲に目がくらみ物事の判断を下すと、必ずその見返りに反動が来る。正しい情報の元に、正しい判断が出来て、正しい行動が取れれば先ず問題は起きない。
この三磨の位、人間全ての生き方にも通用する。正しい情報に学び、正しい判断が出きる、工夫をして、正しい鍛錬、行動をする。剣道で学ぶ物は、全て世の中のことに通じていると、最近特に強く感じている。