この話には、異論のある方が有るかも知れないが、熊が沢山の範士の方々から聴いた話の中で、多分そう言う事だろうと感じていることを記します。
剣道で、よく無心と言う言葉を使います。まずこの無心の状態を作ると言うのはどんな事なのでしょうか。熊が考えますに、まず自分の心が清廉潔白な状態に置くことが、心を一番無心に近い状態に、しやすいのではないかと考えるわけです。
最近、剣道具屋さんが色々な道具を提供してくれいて、それは見た目に楽しい部分もあるのですが、ものすごく派手なものや、時には下品とすら感ずるものさえ見かけることがあります。
勿論お道具をつけられる方々の好みで選択されて良い事は、当たり前ですが、有名な範士や八段の方々に黒い御胴が多いのは何故でしょう。
私の友人が、八段受験を可也の回数受けていて、気づいたことがあるそうです。
合格された方の殆どが黒胴だったと言っていたのです。
別に段位審査は御胴の色で決まるわけでは有りません。これは勿論のことです。
ですがでは何故、黒胴が多いと彼は感じたのでしょうか。単なるそれは偶然だったのでしょうか。
熊はそれは偶然ではないと考えているのです。まず考えたいのは、派手な胴をつける心理です。誰かからカッコ良く思われたい。自分自身目立ちたい、そんな心が裏に潜んでいるような気がするのです。
若しそんな心が心のそこに潜んでいたとしたら、無心と言う状を作り上げる自分の心の妨げになる。清廉潔白な心から掛け離れていることには成りはしないか、という事なのです。
これは、熊自身が体験したことで今も鮮明に脳裏に焼きついているある衝撃的な光景を思い出すからなんです。
熊が尊敬する、某先生が、「今まで俺は京都大会に一度も負けたことが無い」と仰っていたのです。事実その方は全日本選手権も、東西対抗勝抜き戦でも優勝をしたくらいの先生です。実力は並外れた方でした。
その方が、ある年の京都大会で、アレ?と思われるようなお派手なお道具を身に纏、出場されたのです。なんと結果は、10秒足らずで、2本打ちで終わってしまったのです。
見事、何もしない内に負けてしまわれたのです。熊に取りものすごくショックでした。絶対勝って頂けると、心ひそかに応援していたものですから、愕然といたしました。
そのとき、その方が信奉している大先生、当時九段の方が、「心に飾りがあって勝てるわけが無い」と冷ややかに申されたのを今のように思い出されるからです。
それとこれはずいぶん後に成ってからですが、熊が七段合格した後、道具が必要になり、作ろうとしたときに、羽賀の親父が、「黒が一番おしゃれだよ」と何気無く言われたのです。それから熊も自分の道具は殆ど黒にしています。
ただ若い頃に勢いに任せて作ったサメの研ぎ出しのお胴の道具があるのですが、時代が変わり道具のスタイルが変わってきたために。今一度、作り変えて、見ようかな?と考えております。
自分の心が枯れて、欲っけや、飾りっけが無く成ったら、着けてみるのも良いかも知れ無いと考えています。
ご高齢の先生が、変わり胴をつけて居られるのは何か微笑ましい光景ですが、我々修行段階の若者?は出来る限り、余分な心の飾りは避けたほうが良い様な気がします。