最近,此処で機=気について、昔の教えを紹介していた。
原文のまま載せて、考察は各個人にお任せした方が良いと考えたからだ。
受け売りでは身に付かない、自分で考えて感じた方が良いに決まっている。と考えた。
別に意図があったわけではないが、偶然自分の稽古に照らし合わせて、考える事が多かった。
最近の稽古でこの気を考えながら取り組んでみている。
そこで気づいた事がある、昔の道歌に「気で攻めて足で運んで打てば上々」と言うのがあり、その通りだと考えて、打突を試みていた。
だが、其処には大きな落とし穴が潜んでいた。今までそれに気付かないで居たのだが、
在る、画像からヒントを得て、まねて見た。勿論着け焼刃が簡単に身に付くわけも無いが、段々回を重ねるごとに手応えと、実感としての攻めから、打突が生かせるように成り出した。
それは如何言う事かと言えば、今まで、触刃から、交刃まで攻めて、攻め 切った積りで打突に出ていた積りで居たが、打突体制に入った瞬間、攻めが消えているのではないかと言う 疑問が沸いたからである。
確かに、その攻めが通じた場合には何となく打てていた。しかしそれはあくまで偶然でしかない。相手が弱いから通じただけで、在る程度確り出来た相手には通じない。
今まで通じたと思っていたのは単なる偶然の重なりで打てていただけではないのかな、と言う疑問が沸いたからだ。
だが最近、此処に来て、稽古中ある事に気を配りながら稽古をしてきた て、是でほぼ間違いがないと言う、確信に近い手ごたえを感じてきたからだ。
これを、道場の館員に教えたが、恐らく理解は出来ないであろう、 熊が約50年掛けて今、感じ身に着きだしたことがそう簡単に皆に解るはずが無いからだ。
だが、勘のいい人はわかるかも知れないので、一応ご披露しておく。
攻め、是を一輪車に乗せた土と考えてもらいたい。
その載せた土が完全に相手の所まで運ばれているか、その土を相手に頭からかぶせる事が出来るか如何かと言う事だ。
殆どの場合、交刃の間まで攻めて、機会が来たら、打突に出る、その瞬間皆はその土をそこでダンプして、空の一輪車で打突に転じている のではなかろうか。
この違いが解るだろうか、相手から、技を返されたり応じられたり、出鼻を捕らえられるのは全て、空の一輪車に成った証拠ではないか。
と思うに居たり、今その土をいかに相手に届け、頭からそれをかぶせる事が出来るか、それに心を砕いている。 それが何と無く、出来るようになってきた。
それは何故確信できたか。最近の稽古で熊自身一段強くなったと感じ取れるからである。
打たれ無くなって来ただけでなく、黒、白両熊に可也の確率で中心を割る面が炸裂し始めたからだ。
あくまで感覚の話なので、これ以上の説明は難しいのだが、腹の収まり、左手の納まり、丹田の力、 是を最後まで緩めないで打突をする。それが大きな鍵になった。