剣道は他の運動競技と異なり、高齢に成っても若い人たちに負けないくらいに、戦う事が出来ます。
剣道は幾つになっても進化上達はできますが、いかんせん年齢と共に筋力は衰えます。
その筋力の衰えを、何でカバーするか、間合いの見切り、技の柔かさ、機会の創作、この三点が大きな要素である事は間違いありません。
その事により、若い人たちより無駄打ちが少なくなることでしょう。
剣道で、一口に攻めと言いますが、攻めは目に見えるものではなく、お互いが何となく心で感じる事柄です。
攻められるほうは、精神的に圧迫を感じて、気持ちが落ち着かない状況。
だから、積極的に攻めるほうは、相手をコントロールできる。
此れを昔から「相手を使う」と言います。これが機会の創作に繋がるわけです。
今回、カナダ選手権を見て、試合に強い人を検証してみますと、30代後半で、運動競技的には可也歳ですから、筋力はもう若くはありませんが、この三点を上手く使いこなせていると言う事に尽きると思います。
殆どの若い相手が、蛇に睨まれた蛙の如く、焦りまくりの中で戦ってしまう事です。
だから、尚さら、30代後半の選手にしてみれば遣りやすくなる。
かかるほうは、必死で掛かりますが、其れが焦りにも繋がる。
ですから見て居て、殆どが自滅的に打たれる機会を作り出していく。
そこで、考えてみるに、剣道で打たれる機会は、自滅的に動作を起こしてしまう事でしょうか。
自滅的動作=焦り=打ちたい欲望=無理な機会の打突=隙を作る。と連鎖していくわけです。
剣道で、平常心、不動心を説くのも、何のことはない、この自滅動作を起こさない為の、精神的裏づけを説いた物に他成りません。
自滅動作を起こさない修練が剣道修行とも言えそうです。