剣道の古歌に曰く、
「手で打つ心は初心なり、足で打つこそ上手と知れ」と言うのが有る。
人間面を着けると、どうしても叩きたくなる、打たれまいとする、恐怖心の表れか、負けたくない我が出るか。
下手な人ほどバタバタする。だが、その割には打ちが定まらない。そして、例外に無く、叩かれたら痛い。
力がついつい入るのは、殆どがある種の恐怖心から来ている事が多い、その次に異常な興奮状態になる事だ。それもまあ、恐怖心と言えなくも無い。
剣道における技術修行は、殆どが軟らかい力の抜けた技を、身に付けることに費やされる。
それも何年も何年も掛かってやっと幾らか出来るように成るのだ。莫大な時間が必要だ。
10年より20年20年より30年。勿論個人差が有るし稽古量にも寄るし、工夫の仕方でも効果に違いが出てくる。
だが、長年稽古したほうが間違いなく力が抜けることだけは間違い無いようだ。
これは何故だろうか、熊は打たれた回数だけ力が抜ける。と生徒に言う。打たれた回数、稽古した回数。面を着けた回数。何のことは無い、なれるしか方法が無いと言う事だ。
100回面を打たれた人と、1000000回打たれた人では、当然、打たれた経験が違い、その分恐怖心がなくなっているはずだ。
打たれ慣れる事でしか経験が詰めない。どんな名人でも打つ瞬間は力が入ると言われている。
打たれる恐怖心、打ちたい我欲から抜け出す事が、脱力の一番の早道だと思う。
脱力が出来れば出来るほど、剣道は強くなる。
手で打とう打とうと考えて居る間は、上達はおぼつかない。それだけは事実だ。