昔と違い、毎日道場で、稽古をしているわけではない。
最近は週二回、腕が落ちない程度の、稽古量だろう。
だが頭の中は毎日稽古をしている。何かを工夫し、その理論付けを検証している。
昔と違いそれが迷いに成る事は無くなった。
熊がまだ4~5段の頃、三ヶ月に一度、中部管区刑務所の指導に見えられる、榊原正範士を刑務所の刑務官の剣友が、駅に送る途中、範士が彼に言ったそうだ。
熊は良いに着け、悪いに着け、来る毎に、毎回剣道が変わっている。
だがお前は何時来ても同じ剣道をしている。工夫が無い。と、叱られた。と聞いた。
工夫をして、自己改造を心掛ければ、当然、試行錯誤の中で剣道が変わる。良くなる場合も有れば、工夫の間違いで、悪くなる事もある。
だが、何が正しい理合いに則った剣道なのか、其れを、探求していれば、そう大きな道に外れる事はない。正師がそばに居れば尚更である。
その頃に、工夫する癖が着いたのが今になって生きてきている。
毎日毎日、飽きもせず、剣道だが、工夫すれば工夫するほど探し物が出てくるから面白い。
その面白さが又、工夫の原動力にも成っているのだ。
日々の研鑽、何も道場だけではない。何処にでも此処にでも落ちている。
最近、又新たな発見があり、新たな世界が見え始め、稽古が楽しい。嬉しい限りである。
剣道修行は、宝探しと同じだ。その尊い宝が、自分の中ににある。それを探す、最高に幸せな事だ。