剣道で、どんな名人だろうと、絶対的に弱い所がある。
其れは起こりである。起こりと言っても殆どの剣道人は技の起こり(竹刀が上がる)を起こりと捕らえている人が殆どだと思う。
だが本当の起こりはそれ以前、竹刀が動く前に体が動き出すのである。打とうとする意識が体のどこかに表れる。
其の体の動きの始動するところは、どんな高段者であろうとも,其処を打たれると弱い。名人でも技の起こりは隙があると言われるゆえんだ。
つまり、俗に言う気の起こりともいえるのだが、これは目でも確認が取れるくらいだから、それほど高度のものとは考えなくても良い。
意識して心を落ち着かせて相手を洞察する事ができれば、意外と簡単に其処の機会を掴む事が出来る。
竹刀の起こりを起こりとして見ていると、動きに惑わされる事に繋がり機会を得ない。それ以前の起こりを掴む事だ。ここが第一ポイント。
竹刀の起こりを目で捉えようとするから、心が躍り、不動心、平常心が養えない。それ以前の体の始動の起こりであれば十分に腹を据えて見る事が出切る。
だから強くなりたければ、自分の気持ちの起こり、体の起こりを出切るだけ抑えて相手の起こりの洞察力を養えば良い。
自分の起こりを抑える、此れは昔から言われるように、我慢であり、為であり、機会の見極め(見切り)である。
ここさえ掴めば、誰でも強くなれる。勿論、機会と感じたら、自分の体が自然に反応出来ての話だが・・・・・
そして、自分が攻めているときに、其の攻めに対して相手が動けば
相手を引き出したことに成る。
年老いた範士が若い連中を手玉に取れるのはこれがあるからだ。