最近、左足を痛めて難渋している。原因が解らないのも有るのだが、今まで出たことが無い痛みで、今年の春先から繰り返し繰り返し出てくる。
其の痛みが最近は引かないで痛いまま、其の痛みが強くなったり弱くなったりで、慢性的に痛みが続いている。
痛みが和らいでいる時は稽古をしているが、以前のように、機会が見えて、ここぞと言うときに、飛べないのが悔しい。
反射神経で、感じたとき、本能の赴くまま飛ぶと、激痛が走る。だから、有意識で、極力攻めて相手を完全に居つかせた状態で、完全な機会でないと飛ぶことが出来ない。
そんな体を克服しながらの稽古なので、逆に色々工夫しなければ稽古に成らないので、弱い頭を捻りながらの稽古だが、見方を変えれば、良い研究期間中だと言う事も出来る。
お陰で、昔、羽賀の親父から聞いていたことの裏づけに、確信がもてた事が出てきた。
親父曰く「攻めとは、いかに自分の左足を相手に近づけることが出来るか」と謎めいた事を言ったことがある。
其れは、剣道中段の構えからの打突は、左足が起点になり、其の蹴りだしで、飛ぶわけだから、左足が相手に近ければ当然、自分の間が有利になることは理解できるので、其のなぞは解けていた。
だが実際面で、心がけて気にはしていたが、今までの打突で、通じる事も有り、其れを深く研究するには至っていなかった。
親父の元気な頃の稽古は、特に足捌きに特徴があり、素晴らしい足裁き体捌きで、稽古をしていた。水澄ましが水面をスイスイ滑るが如く、左足が前だろうが後ろだろうが関係なく何処からでも打突が出ていた。
今、自分の左足が、強い力に堪える事が出来ないので、サット間合いに入って打突することは出来ない。だからじりじりと攻めて、慎重に間積りをして、出なければ機会を捉えられないので、無駄打ちが少なくなり、無駄打ちが出来なくなってきた。
そこで、触刃の間から、交刃の間合いで、左足を完全に右足の横にまで引き付けて置いて、攻め合いをしておいて、ここぞ、と感じたときに、打って出てみた。自分の間が相手から近いので有利に打つことが出来る。
おまけに左足を右足に引き付けて置くには、相当の胆力も必要になることも、再発見出来た。ゆえに、左手の納まりを意識しなければならないことも、副産物で、更なる再確認も出来た。
昔の教えに、「敵から遠く、我から近い間」と言うのが有るが、まさに其れ、本来の意味合いは、気の働きのことをさしての言うのであるが、此れもまた真なり、と感じた次第。
たまには、体のどこかが都合が悪くなるのも満更捨てたものではない。お陰で大きな拾い物をした。痛みで従来の働きが出来ない左足に、感謝、感謝である。