さて本題。
3の段階で、ある程度、動じない腹が出来たとする。
と言うことはこの辺りから、もう3つの要素を加えていかなければ本物の攻めに近づくのは難しい。
1は脱力である。肩の力が抜けて、返し技が自由に使える状態でないと、効果が出せない。
2は反射神経からの離脱である。これを得るためには、反射神経が邪魔になる。
3がここで書きたい本命、見切りである。
見切りとは、相手が打突動作を起こしたとき、小手に来るか、面に来るか、突きに来るか、はたまた引き出そうとしているか、確りと見極めなければならない。
打突は、部位に当たる瞬間まで安全な訳だ。その当たる寸前に技を返せば、相手は伸びきった状態だから、其処からの変化を起こすのは難しい。
そのぎりぎりまで我慢して相手の打突が見切れるかどうか、ここが一番肝要になる。
その為に、できるだけ相手の打突の竹刀を自分に引き付ける必要がある。
相手にしてみれば、メンに行ったと思ったら返されたと言うのが一番辛いはずだ。
確実にこてが打てたと思った瞬間返された、これでは万事休す。
その為に、自分としては、脱力が出来て自由自在に返し業が出来る状態でなくてはいけない。
また、反射神経が良すぎて相手の動作に反応が早ければ、面に来たと思って返すか受けるつもりで、手元を浮かせたところを小手に変わられたと言うことも良くあるケースだ。
だから、反射神経ではなく本当に相手の動作を完全に引き付けて見切る腹が必要になるわけだ。ここに本当に打たれても動じないだけの覚悟が居る。
その覚悟が出来なければ、如何しても相手の動きに併せてしまう事になる。相手の動きにあわせるのではなく、自分の動きたいように相手を誘導する。
其れくらいに成らないとここは掴む事が難しい。
さて5の段階、4まではどちらかといえば戦いである。自らの攻めで相手を攻略する。
だが5の段階になると相手と和して勝ちを得ると言うところにまで行き着く。明鏡止水の境地とでも言うのだろうか。相手が写る。
熊とてまだまだこの境地には至っては居ないが、おぼろげながら分かってきた。
つまり相手の好むところに従って勝つ。其処には戦いは無く相手が負けに来てくれるだけ。
極端な話、対峙しているだけで、打たなければ負けない。打とうとすれば必ず力みが出るので、其処に隙ができる。本人が打たれに来るわけだ。
こちらは争う気が無い、だから、打つほうとしてみれば多分相手が弱いと感じるでしょう、だから不用意に打って出て来るのかもしれない。
所が出たら最後打たれてしまう。キジも鳴かずば撃たれまい。
との格言の如く、何もしなければ打たれないものを、何か仕掛けたために打たれる原因を作る。
ここまで来ると、もう攻めは要らない、相手と和するだけで良い。
こちらは和を持って対するが相手は戦おうとする。その我欲の差が、命取りになる。
この辺は大範士にお願いすればご理解がいただけると思う。