第五に心掛けている事は気、剣、体、別々の働きである。本当の気剣体の一致の為にそうせざるを得ないのだ。剣道バラバラ事件なのだ。笑
普通一般の剣道家は手と足が連動して働く。だが実は是がどれだけ剣道上達の邪魔をしているか、是が余り理解されていない事だと思う。だから、殆どの剣道家は其処の所を超えられないで居る。
剣道は、気、剣、体の一致と言われるが、実の所、気も、剣も、体もバラバラに働きを自由に出来なければ、本当の気、剣、体の一致など、作れる筈が無い。
千変万化、臨機応変に何のこだわりも無く、体が自然に動き、打突をすると言うことは、肉体と精神と竹刀の動きが自由でバラバラに働いて初めて効を成すと考える。
間合いの作り方は足である、上半身は打つ為に、防ぐ為に、交わす為に準備万端で無ければ成らない、そのためには、何処の筋肉に余分な力が入っていたのでは、それは不可能に成る。つまり、体=足、剣=上半身(腕肩手首)が別々な訳がお分かり頂けると思う。
だから、臨機応変に対処で来る用意の為に、出きる限り何処にも動きを作らない。
つまり上半身の何処の筋肉も最終目的の打つと言う行為の為に、絶えずリラックス、自然体のまま維持してい無ければ成らないと言う事に成る。
だが、間を作り、機会に間違いの無い打突をするのは、足がカギに成る。
上半身の静と動、下半身の静と動、是が別々に成っていなければ成らないわけだ。
勿論、気にしてからが、刻々変わる状況変化に、気持ち付いていきながらそれに惑わされること無く、自分を確保しておかなければ成らない、決して心の硬直は避けなければならないはずだ、と言うことは全てバラバラの働きをすることが、求められていると言う事になる。
処が、剣道では最終的に、気、剣、体、の一致動作が求められる。それを纏めるのが、自己の意思で司ることになる。ここだ、今だ、遣るぞ、其の意志がバラバラを一つに纏めるのだ。
其の意思決定が、正確な間積りをして、足で打ち間に入り、相手の気を起こして、最終的に上半身の腕が動きをして、正確な打突に繋がる。
このバラバラが理解できて、身体、心で表現できる位に成ると、剣道では一応の世界を治めたことに成るのだと考えている。
特に打突に入る前の間積り足の動き、気で責め切ってからの、上半身の竹刀打突動作、ここが上手く行くと見事な面が出せる。
剣道バラバラ事件、身に付くとこれほど面白いことは無い。