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最近、生徒を指導していて感じる事、竹刀操作の困難さである。 箸やフォーク、ナイフを使うのに苦労している人はあまり見かけない。 又、字を書くときペンを不自由に使う人もあまり見かけない。 なのに、いざ竹刀を取ると如何にも不器用な動きに成るのは何故か? 竹刀が腕や指の一分の様に成る為には如何したら良いのか? まあ、簡単に言えば、工夫と稽古しか無いのだが、其れでは皆が求めている答えに成らないだろう。 今回、ギリシャで指導していて、同じ事を考えた。 皆、力むと言う無駄な力の使い過ぎ。 自分で自分を不器用に、動きに制動を掛けていると言う事に気付いていない。 先に述べた、箸やペンの使いよう、力は最低限しか使って居ないはずだ。 竹刀操作も同じなのではなかろうか。 只、そこで大きな邪魔に成るのが自身の心だ。 打ちたいが、打たれたくもない。 この精神状態が齎す力みと言う悪魔から自らを解放す事が出来ないからだ。 竹刀は大体520~540g程度の筈だ、それを左右両手で分担すれば、片方の腕にそれぞれ、260~270gを操作する力だけを使えば良いと言う事に気付かねば成らない。 竹刀や刀は刃筋を通して只振れば良いだけなのに、処が、殆どの御仁は打つと言う意識の元に必要以上の力を使おうとする。 得物(武器、竹刀)を使うと言う落とし穴だ。 獲物を手にした瞬間、人間はどうしてもそれを使わなければ行けないと言う錯覚に落ち込んでしまう。 不便な物よ。 手は心を忘れ、心は手を忘れる。 この境地が出来て初めて竹刀操作が本物に成るのだろうと思う。 |