木鶏と言う教えが有る。
喧嘩をさせる為の鳥=軍鶏。
他の鳥の鳴き声を聞いただけで、反応してしまう内は使い物に成らない。
どんな鳥が鳴こうとも、木で彫った置物の鳥の如く、反応しなくなって初めて初めて使い物になる。
まあ、簡単に意を訳せばこんな所だろう。
これはつまり剣道で言い換えるなら、相手の動きや攻めに簡単に反応してしまうのを戒めた教えだと捉えれば良い。
昨夜の稽古で、若手連中が、いとも簡単に反応してしまうので、稽古後全員に説明して、その対処法を説いた。
相手が攻めて出てきたら、絶対に慌てないで、最小限の動き(反撃準備)で対峙する事。
此処で、動揺を露にして、打ち気を出して、剣先を上げてはいけない。
此処は、相手以上の気迫、気持ちで攻め返す。(これが乗ると言う事)
*意外と理解できていないのがこの攻め返す動作が大きい事。
*剣先が相手の中心線から外れる事。
つまり、本当の攻めに対する対峙が理解できていない。
何故最小限度の動き(攻め返し)にしなければ行けないのか?
これは、非常に大事な要点で、最小限の、反撃体制で相手が出て来るのを止められないようでは、自分の攻め反撃態勢が功を奏して居ないと言う事だからだ。
また、大きく攻め返すようでは、間合いが詰まりすぎて、不覚を取る事に繋がる。
大きく攻め返す??=緊張感のある間合いの攻防が理解できていない。
と言う事に繋がるからだ。
又、中心線を相手に取られて居たら、容易に攻め込まれてしまう。
相手が攻めてきたらまず反応して打ちに出るにではなく、反撃準備で攻め返す事。これが、剣先で会話をするとか、気の錬りあいと言う言葉に繋がる。
だが、かといって、此処に拘りすぎると、機会を逸する。
此処の見極めの為に稽古が有る。
と説明したが、理解できたかどうかは、次回の稽古を見なければ成らない。
木で彫られた置物の鳥の如く、相手の怒涛の攻めにも、泰然自若と対処できる様になるのは、容易な事ではない。