昔、榊原正範士に聞いた事が在る。
「剣道八段になると、それぞれの個性が剣道に出てくる、それがその人の剣風に成る」と
熊自信はマダ、自分がどんな剣風を目指して居るか掴めないで居る。
昔の理想から言えば、榊原正範士の正確無比な技前、端正な構え、羽賀忠利範士の流れるような足裁き、切れるかと思うほどの手の内のさえ、上品な剣風、西善延範士の、怒涛のような強さの剣道。
これを足して、MIXしたものに憧れていたのだが、そんな剣風は真似が出来ない。そんなことが最近ようやく解った。何故か、中身が無いからである。中身が違う。
だが、最近、自分で、こうだ、こうなりたい、ということが、段々はっきりしてきた。上辺だけ、大範士の真似をした所で、所詮それは付け焼刃、その真似事が、自分の本当の実力になるとは到底考えられないからだ。
そこで先ず自分が最初に何を身に着けなければ成らないか、それは強さだということに気付いた。これが一番大事だと気付いた。
その強さの中からにじみ出てくる風格。
これが無くては、風格なぞ作り物、飾り物でしか無いと言うことに、 思いが及んだ。何ぼ美しい姿だろうと、強さが無ければ、アイツは格好だけだと言われてしまう。
人の評価が、如何で在れ、構わないのだが、やはり目指せるなら、強くて美しい 剣道が理想ではないか。
だが、強くて美しい剣風の中にも色々在る。流れるような、流麗な 剣風も在れば、巌の身のような力強い剣道も在る。そのどちらに行こうか考えたが、熊の性格としては、どちらかと言えば、巌の身を目指したい。
どんな怒涛の荒波でも、ドンと跳ね返す岩礁。そんな強さが身に付けば、’自然と、自分の剣風が定まってくると、思うようになった。
器用さで、真似る剣風でなく、自分の体内、心から発動する魂の叫び、それが剣道で表現できた時に初めて、熊が熊としての剣風が出来上がるのかも知れない。
それを目指して日々是精進。楽しみな事だ。