ここは、居合い道の指導書ではない。いわば、熊の居合道雑記帳とでも受けて持てもらいたい。熊は居合道暦だけは古い。居合いをはじめて学び始めたのは、1970年、昭和45年、25歳の時。夢想神伝流。
最初は若年成人病寸前の肥満体を何とかせねばならないと思い、高校まで遣っていた剣道を再開しようと、富山、練成館に出向いた。当時練成館館長は、富山県の剣道界重鎮の臼井範士。範士いわく、「剣道は相手がいる、だが居合いは一人でできる、だから居合いを遣りなさい」と言う物だった。
館長はその頃すでに、80歳近く、剣道の稽古らは離れておられ、もっぱら居合道をお稽古なされておられた。それでお勧めいただいたのが切欠だった。そこに、たまにお稽古に見える村雲先生(今は亡き熊の生涯の師)が来られて、すばらしい迫力のある居合を披露されていた。
熊が初段を頂いた頃、村雲先生が、最近見えられないなと思っていたら、ご自分の道場「凌雲館」を開かれたと、小耳に挟み訪ねてみた。そこには、熊よりも後からはじめた生徒が熊よりも上手い居合を抜いている。それを見て愕然とショックを受けた。その時、やはりこの先生に教えを受けたいと思い始めた。
だが、熊はもう既に、臼井範士に師事している。そこで、練成館の稽古のほかにも凌雲館にも毎回出かけて、黙って居合を見取り稽古をしながら見よう見真似で稽古をしていた。そんなある日、半年も過ぎていただろうか、村雲先生から「そんなに熱心に稽古に来るなら、正式に入門しなさい。」といわれた。
だがその頃、武道では二師に尽いて学ぶことは、不謹慎という考え方が大勢を占めていたが為に、どうしたら良いか、村雲先生に聞いた。
村雲先生は、大丈夫、自分がここで学びたいのなら、それを臼井先生に伝えて、お世話になったお礼を告げてきなさい。後は私が臼井先生に話すからという事だった。それから、熊は村雲先生の勧めで、剣道と無双直伝英信流を学びなおすことになった。
そんなある時、熊が三段を頂いていた頃だろうか、当時石川県にお住まいの、全剣連初代範士九段、正岡一實範士を招聘して講習会が開かれた。
それは、それは熊に取り、衝撃的な実戦居合道との出会いでもあった。範士が話される、言葉の一つ一つが心にグサッと楔を打ち込まれたように響いた。
そこでの、理合いとの出会い、「居合は鞘のうち、抜いたら剣道」「剣道と居合は車の両輪」「命が大事か、刀が大事か」「それで、貴方は自分の命を守れますか」「修行は気狂いにならなければ、日本一にはなれません」などなど、先生の口を突いて出てくる言葉の一つ一つが今の財産となった。
その頃は、熊自身の個人的な、人生の窮地とも重なり、その重圧から逃げ出さんが為に毎日、時間の許す限り稽古に没頭した。休みの日は、家内と共に、朝5時から夕方の五時まで抜いた。当時まだ乳飲み子だった、白熊を赤子用のゆりかごに乗せ、魔法瓶にお湯を入れて、粉ミルクとおにぎり持参で休憩時間に授乳。
五時に、子供と家内を家に送り届けて、熊は再度道場に戻り、6.30からの剣道の稽古に参加した。当時、それが楽しくて、楽しくて仕方がなかった。当時、居合道の試合なるものがやっと始まった頃で、家内は、中部日本居合道大会で、2段の部2位。熊は中部日本3位と、東北居合道大会で2位
負けたのは、今は亡き岡山の春名松男先生と、新潟の、草間先生だった。春名先生とは全日本でも対戦2:1どうしても勝てない先生でした。その後、カナダに居住して、羽賀忠利範士に教えを請うことになる。
熊の場合、居合は剣道の裏芸という観念で学んでいたが為に、どうしても剣道の稽古が中心になり。居合道の昇段が遅れた。剣道七段受験で日本に帰国した時、居合い道の六段を受験、そして、去年2008年6月に七段を頂いた。
まあ、居合道暦が古いだけ、古い話も聞いているので、現在聞かれなくなった話など書き残すのも、皆さんの参考になるかもしれない。そう思い書いてみることにした。その背景には、交剣知愛@mixの熊の剣友数人が居合に興味を持ち稽古を始めた事、また以前から居合道を稽古している仲間もいることが、書き残そうと思う切欠になった。
1 貴方の居合は切れますか:「正岡範士」
皆さんは、刀の刃音を出すことに懸命になっておられますが、音より大事なことがあります。それは刃筋です。刃筋とは刀の振る方向が途中で変わらない、という事です。つまり、刃が切る対象物に当たり入る角度、それを切り抜けて出る角度が同じでなければなりません。それには無理な力が働いていては、刀の刃筋が狂う原因を作ります。本当に刃筋が通れば、楽に振っても、羽音が澄んで高い音が出る。楽に振って、高い澄んだ音が出る様に振れるように工夫してください。
中山博道範士高弟の橋本範士は審査の時、目を瞑って刃音を聞いておられた。受験者から、先生は寝ていると批判された。笑い話を聞かされました。
2 居合道の見取り稽古は、上半身を見るな、脚を盗め:「正岡範士」
見た目、派手な居合に目が行きがちですが、命のやり取り、そこには作り事があっては命を守ることができません。派手な動きにごまかされて、上半身に目が行きがちですが、上手い居合は下半身、特に足の使い方が上手いから上手く抜けるのです。「手で打つ心は初心なり、足で打つこそ上手と知れ」これは、剣道にも通じる教えです。
3 右手長く左手短く:正岡範士
これは、江戸時代の伝書にある言葉です。昔は、他流修行者に万一に伝書を盗み見られても容易に理解できないように秘密を持たせて書いたものと思う。これは右手が前で、左手が後ろで刀を握る訳ですから、当然、右手と左手の角度が違わなければなりません。それを、調節するのは指です。
右手はおや指と、小指、薬指で刀を包むようにもち、左手は小指、薬指、中指を閉めて持つそのことで、手首の角度に違いが出てくる、それが、右手長く左手短くと言うことです。それでこそ、切る時の両手のバランスが、上手く取れることになります。
4 刀は落とさなければ良い:正岡範士
刀の抜き差しは軽く指先で握る事、刀は落とさなければ良い。刀を握り締めると、刀に勢いが出ない。
5 抜きつけは、指の曲げる順番で切れ:正岡範士
鞘引き、抜きつけの瞬間は右手の、小指、薬指、中指と順に締める事で、刀が走る。手首のスナップや、腕の振りだけではない。指を順に締める事で手首が自然に前に伸び抜き付けに勢いが出る。
6 羽音が長いのは下手な証拠:「羽賀忠利範士」
刀を振る時、頭上から切り下ろす間すべてに、音が長く出るのは良くない、理想は切る目標、15~20cm位上から、切り抜ける処までの間だけ音が出るのが理想。切る瞬間に刀が走り、最大限の力が発揮されることが重要。だからこそ冴える、本当に切れる。音が低く長いのは無駄な力が入っている証拠るという事になる。
7 納刀は左手:羽賀忠利範士
納刀のとき刀を斜め前に引き出して、切っ先が鯉口に落ちた瞬間、左手の手首を返して、左手親指を帯に附ける様に戻す。それで切っ先は完全に鞘の中に入り、失敗が無い。