タケノリ、パパ、彼との出会いは、熊が27歳で初めて高校の代用教員として、剣道教科を受け持ったときから、もう既に35~6年の月日が流れた。
彼は当時剣道部の万年補欠的存在で、体も小さく、器用な勝負が出来ないタイプ。だが稽古だけは真面目に一生懸命にこなしていた。当時若かった熊も、勢い、彼をしごきあげて、転げまわし、床掃除を良くさせた。
そんな彼が、就職活動で、レギュラーが2名抜けた県体でとんでもない活躍をした。今でも彼が打った面は熊の瞼に焼き付いている。
熊が其の学校に派遣されるまで、其の高校は県下でも最下位に属する高校で、7人制の勝ち抜き戦に、たいした相手でもない高校に7人抜きされる位、勝ちには丸で縁のない高校であった。
そんな彼らが三年生になったときは県下優勝するチームにまで育つとは夢にも思わなかった。それが縁で、ズーと交友が続き、親子二代の教え子として、現在に至る。
熊がバンクーバーに移住したとき、彼は米国に酪農の勉強したいと三年近く隣のワシントン州にファームステイをして、奴隷的使役に耐えて頑張った。
其の彼が、日本帰国後、周りの大反対を押し切り、米国で学んだ方法で酪農で大成功を収めた。其の彼が、日本の酪農に見限りをつけて、カナダでリタイアー生活をしたいので其の下見に訪れた。
居りよく、タケノリの大学卒業に目処が立ち、タケノリもカナダの労働ビザ取得にも問題が無くなり、永住も夢ではない。
其の彼が昨夜、稽古に道場に来た。久々の親子対決だ。熊は足を痛めていたので、見取り稽古に徹していたので、生徒の稽古を一部始終見れた。其のお陰で、生徒矯正のたくさんの新発見が出来た。
見ていて驚いたのはタケノリパパである。35年前に教えた通りの剣道をしている。当時の未熟な熊の悪いところ全てコピーしているではないか。此れには驚いた。
彼にして見れば、その後、山の中の牧場地帯で、近所の子供に剣道を教える手助けをするくらいで、一月に一度稽古が出来れば良い方だ。だから、シーラカンスの如く、高校時代のままの剣道で、現在に至る。
ただ当時熊が教えていた通り、構えは真っ直ぐ、姿勢も真っ直ぐ、 足は両足確り平行になっていて、真っ直ぐ素直に面を打つのは見ていて嬉しくも有った。
夕食を楽しみながら昔話に花が咲いたのは言うまでも無い。惜しむも無くば、酒が飲める相手であれば尚楽しいのだが、彼は酒は飲まない。其の分タケノリが相手をしてくれた。
楽しい稽古が見れて楽しい夜が更けて行った。