■はじめに
一番初めに、剣道は楽しく勉強してください。
楽しく勉強するためには、上手くなる事です。上手くなるためには、正しい事を正しく習い、正しく工夫して、正しく身につける事です。
これを「三磨の位」(さんまのくらい)と言います。
つまり習う、工夫する、練習する。この3つを繰り返し繰り返し行う事で上達が早くなります。
剣道では運動神経の善し悪しは関係ありません。
素直な心で努力を続けた人が必ず上手くなります。
剣道は誰にでも公平です。
■正しい構え
正しい構えを作り上げて下さい。正しい構えとは隙の無い構えの事です。昔の先生は「安心立命の構え」といいました。
安心して命を守れる構えの事です。
正しい構えを作るには次の事を守って下さい。
□姿勢
- 右足は相手にまっすぐ向け、踵を1㎜程上げて膝を少し曲げる
- 左足は爪先を右足の踵の位置で右足と平行にし、踵は2㎝程上げ膝を伸ばす。
- 両足の幅は自分の身体の幅で広すぎず狭からず自然に立つこと。
- 身体は真上に伸ばし、顎を引き、胸を大きく開き、へそを相手の右肘にむける。
- 左手はお腹から一握半り離し、左手の親指の第一関節がへその高さに位置する。
- 右手と左手との間隔は一握りだけあけ、両手の甲を床面より垂直に維持する
□竹刀の持ち方
- 左手は柄頭いっぱいに小指、薬指、中指を軽く絞め小指球(*)を竹刀の上に乗せる。(ジャンケンのチョキの要領、但し親指と人差し指のチョキ)
- 右手は小指、薬指を軽く締め、指先で竹刀を包むように小指球を上に乗せる。
(ジャンケンのチョキの要領、但し(人差し指と中指のチョキ) - 左手は出来る限り動かさず、剣先は竹刀の延長線を相手の左目に付ける。
※ 両手ともグーの握りはノー・グッド。
■四戒
剣道には4つの心の病気があります。
驚懼疑惑(きょう、く、ぎ、わく)のことです。
稽古中(驚く、恐れる、疑う、惑(迷)う)の心を持ってはいけない、という事です。これを四戒(しかい)といいます。
- 驚く=相手に攻められてビクビクしたりハッと驚くと、身体が硬直してしまいます。
- 恐れ=相手と相対した時、自分より強いと思ったら恐くなり実力が出せません。
- 疑う=相手が小手に来るか?面に来るか?と疑っていたら自分の技が出せません。
- 惑う=攻撃を仕掛ける時、自分の判断に迷いがあれば思い切った技が出せません。
このような精神状態に陥らないように、というのがこの教えです。
この4つの心の落とし穴に落ちない為に勝ち負けを考えず、今まで自分で学んできた事を信じて、ただ一生懸命やる事です。結果が自ずと出てきます。
■手・足の使い方
剣道の技術は大きく分けて、手の使い方と足の使い方があります。手の使い方とは勿論、刀(竹刀)の操作を正しくする為に両手を上手に使う事です。
正しい操作を覚えるために素振りが一番効果があります。
一つ一つの動作を自分で確認し行ってください。
□素振り
- 竹刀を振り上げ、振り下ろすのは左手の力、左手はエンジンの役目です。
- 右手は柔らかく竹刀の操作をし、方向を示す。ハンドルの役目をします。
- 竹刀を振り上げは左手を頭の上まで上げ、両肘は力を抜き、角度を同じく曲げます。
その時、ひじが耳の横に来るように確認する。竹刀は軽く握り手のうちに密着させる。
(昔から生卵を握る、小鳥を掴む、ようにという教えがあり強く握る事を戒めている。) - 振り下ろすときは、手首、肘、肩の関節の力を抜き、竹刀を遠くに飛ばす感じで振る。
左手の高さはみぞおちの高さまで引き下ろし、剣先は自分の目の高さまで下ろす。
(振り下ろした竹刀がその高さに来た時、両手の小指を意識的に軽く締める。)
頭上に振り上げた竹刀を振り下ろす時は左拳で相手の額を打ちつける気持ちで打つ
*絶対注意事項
竹刀を振り下ろす時、「手を絞れ!」という教えをよく勘違いして、両手の親指を絞り込む事があるが、これは間違いである。絞るという事は、両手の小指球を竹刀の上に乗せて、小指を絞め、親指を心持ち前に出すようにする。
■無念無想
剣道では「無念無想」とか「無心」の打ち、等という言葉をよく使います。
無念無想とか無心というのは、何も考えない事である、という様に解釈しがちです。しかし、そうではありません。
何か頭に思いが込み上げてきたとしても、いつまでもその考えに心をとらわれない事をいいます。
つまり、前回説明した四戒が心の中に出てきたとします。その心にとらわれると、自由な働きが出来なくなります。
そこで、そんな心にとらわれないで、勇気を持って大胆に思いきった動作で挑む事が、無心につながるのです。皆さんの段階でも無心の状態は作れます。
例えば、稽古中に相手の人が面を打ってきた時、いちいち考えないで出小手とか抜き胴とか打ってしまっている事がありませんか?
それこそが無心の打ちなのです。相手の動きに合わせて対応に必要な技が出てくる。
言い換えれば強い集中力を持っている時が、無心の状態、無念無想といえるのです。
■足さばき
剣道で使われる足の使い方を足さばきといいます。
足さばきには大きく分けて5つの足さばきがあります。
- 送り足=身体を前進後退させる時、右左あるいは左右と両足を動かす移動法。
- 継ぎ足=左足だけを引きつけて、右足を直ちに踏み込む時に使う。
- 開き足=相手の攻撃をかわす時、左右に開きながら攻撃に転ずる時に使う。
- 歩み足=普通に歩くようにして、間合いを詰めたり外したりする時に使う。
- 飛び込み足(踏み込み)=打突をする時、左足で蹴り右足を大きく踏み出す。
これらの足さばきは、相手との間合いの維持や攻撃を掛ける時、防御から攻撃に転ずる時に使われます。
この足さばきを正しく使う事で、正しい姿勢の維持ができます。正しい姿勢が維持できるという事は、正しい打突につなげる事が可能になります。
体を曲げたり、首を曲げたりする事の無いように、正しい足さばきで相手に対処することが、正しい剣道への原点です。
特に左足の使い方を意識して、正しい足さばきを心がけて、よく練習して立派な剣道家になってください。
剣道で大切なのは「左手、左足、左腰」という教えがあります。
■一眼二足三胆四力
剣道の大切な教えにイチガン、ニソク、サンタン、シリキ。という教えがあります。
1眼=一番大切なのは相手の動きを察知する目。初心の間は反射神経を養い、上達にしたがって心眼=相手の心を洞察する力を養う事が大切になります。
2足=二番目に大切なのは足さばき。相手との安全な間合いを保ち、いざチャンスという時に足を使って、思い切り打ち込むために足裁きが大切ですよ。と言う教え。
3胆=日本語では、キモ、腹、度胸等という表現がこれに該当します。これは、いざという時にどれだけ冷静沈着に判断行動できるかという事を表現しています。
4力=刀を振り回す力を4番目に入れてあるのは、力はそんなに要らないよ、という意味。馬鹿力は却って技術の妨げになります。しなやかな技術力が必要。
1=心眼を養うにはどうしたらよいか?
邪心を捨てる事です。
邪心とは「勝ちたい」「打たれたくない」「打たれずに打ちたい」等の自分勝手な思いの事です。
打たれてもよいと覚悟が決まったら、相手の打ってくる動作の全てが見えます。相手の動作が全て見えてくると、日ごろ正しい稽古を沢山積んでいれば、身体が自然に反応し自分の打ちが自然に出ます。
皆さんは、階段を上がる前に、いちいち階段を上がれと自分の足に命令していますか?していませんよね。
それでも階段が見えたら自分で思わなくても身体が勝手に階段を上がっていきます。それが自然です。
打たれずに打ってやろうと思うと、まず、打たれまいとビクビク相手の動きに反応してしまい、自分で自分の心を曇らせ、返って打たれる結果になります。
目をつむったままで階段を上がれますか?おそらくつまずいてしまうでしょう。
だから自分の心を信じて、素直に見ていれば相手の事が自然に見えてきます。打たれたくない等と自分勝手な欲(邪心)を捨てる事です。それで見えてきます。
2=足さばきは正しい打込み、切り返し、掛かり稽古を沢山する事で自然に身につきます。
3=胆を練るには豊富な稽古量に裏付けされた経験と自信に加えて大切なのは呼吸です。チベット密教の中に「クンパハカ」と言う呼吸法があり、大変有効です。
自分で自分の心を管理できるようになります。科学的に説明出来る呼吸法なのですが、ここではやり方だけを説明しておきます。試して見て下さい。
①肛門を閉める。②お腹の筋肉を軽く閉める。
③肩の力を抜く。④息を出来るだけ、ゆっくりと吐き出す。
途中で息を吸っては絶対だめ。胸の中が完全に空っぽになるまで吐きつづけます。
吐き終わると息は自然に胸の中に入ってきますから、入ってきた息を下腹に下げる気持ちで①~④を繰り返します。
4=力とは強く打つ為の力ではありません。左右の手を上手に使って、冴えのある打ちを打ち出す力のことです。
■目付け
相手と向かい合っている時、相手のどこを見て戦ったらよいか?
□遠山の目付け
遠山の目付けとう教えがあります。
相手の目を中心に「体、全体を見なさい」という教えです。
相手のどこか一点を集中して見てしまうと、その部分が動くと迷ったり、見えなくなったりします。だから遠い山を見るようにゆったりと相手の体の全体を見るようにします。
相手の人を脅かしたり、迷わせたりする為に、フェイントを掛けたり、竹刀をかついだりする行為を「色」といいます。又、技を出そうとする瞬間を「起こり」といいます。その色や起こりに惑わされない為にも、全体をしっかりと見る必要があります。
色や起こりが出た瞬間はこちらの打突の大切な機会であり、全体を見ていれば、瞬時に打ち込んでしまう事が出来ます。
□帯の矩
帯のかねの目付けという方法があります。
相手の実力が絶対上で、相手の目を見ているといしゅくさせられてしまい、動けなくなるような場合、万に一つ勝つ方法として相手の腰あたりに目を付けて、破れかぶれに一点めがけて打ち込んでいく方法です。
但し、万に一つですから死を恐れずに思い切った仕掛け技で一か八かの賭けです。大きな試合の大一番という時に使ってみるのも面白いかもしれません。
つまり捨て身で行けという事です。
□篭手の目付け
篭手の目付けという方法があります。
相手の竹刀の動きの始まりは、必ず篭手から動きます。
相手の篭手の動きは技の起こりを意味しますから、起こりを見て対処していく方法です。
出端をくじき、起こり頭、出頭を打つ為の教えです。
このように相手に対する目の付け方はいろいろあります。
全て実践から生まれてきた尊い教えです。自分の稽古の中で勉強してください。
勉強をする時は失敗を恐れてはいけません。又、相手に打たれてもよいと思うだけの余裕を持って勉強してください。
余裕があれば見えないと思っていたものも見えてきます。
頭の中が真っ白の状態ではすべての判断が狂ってきます。
いつも冷静沈着に判断が下せるように、正しい物の見方をするのも、剣道を通じての勉強の一つです。
■稽古
剣道では練習といわず稽古(ケイコ)というのはなぜでしょう?お茶、お花、日本舞踊などもケイコといいます。
昔、剣道は武芸とも呼ばれました。古来より芸事、習い事を稽古というのは大切な理由があります。
練習というのは練り習う、習った事を身体をかけて覚えるという意味合いが強く、稽古という文字は「古=いにしえ(昔)を稽=かんがみる(鑑みる)」と書き、すなわち昔の立派な人達が真剣に命懸けで勉強してきた事を自分になぞらえて自分の勉強に生かしていく、つまり伝統の中にある真実を追究し考察しながら自分の勉強に生かす、古きを訪ねて新しきを知る「温故知新」といった意味合いがあります。
昔、剣術の時代の真剣勝負は即、死合、仕合=殺し合い、死に直面していました。現代では試合=試しあいで、ややもすると真剣みに欠けます。剣道の原点は命のやり取り、この事は絶対に忘れてはいけません。
この事を忘れてしまっているから「当てっこ剣道」などと言われてしまうのです。武芸の時代には当てっこ剣道なんてありませんでした。
剣道をスポーツと考えるようになってから練習になってしまいました。先生方から一方的に教えられ、強要され、自分で考える暇も無く、試合の結果だけで判断され、クタクタに疲れて燃え尽き症候群で剣道嫌いになってしまう。
こんな生徒が増えているのは指導者の責任です。
剣道の稽古は先生の教えを自分で考えて、自分で身体をかけて、自分で答えを出していく自分との真剣勝負です。誰の力も借りる事が出来ません。
真剣に真面目に自分の出来る限りの努力をする、そのなかでの勝ち負けだからこそ、勉強になるはずです。
なぜなら、「鑑みる」とは自分の心の反省、自分で見つけていく事です。責任はすべて自分にある、だから勉強になる。この勉強は一生続けていける。
一時の勝ち負けで人に判断されるのでなく、「答は自分に有り」で自分で答を求めて自分で考える、これが稽古の意味合いです。
剣道を勝ち負けだけのスポーツにするか、自分の人生の勉強につなげるか、それは自分の心がけ次第です。その一つのバロメーターが昇段審査です。
チャンピオンは次に負けたらチャンピオンではなくなりますが、昇段審査で合格した段位は、悪い事でもしてはく奪されない限り、一生自分のものです。
その人の努力に対して送られるのが段位称号です。自分の努力目標を自分で立てて自分のペースで勉強できます。高校や大学の試験と異なりいつでも受けられますし、何歳になってもチャレンジできます。柔道や他のスポーツと違い体力の限界もありません。
この素晴らしい剣道、一生続けられる剣道を練習のレベルに終わらせないで、稽古にまで高められるかどうかは自分の心がけ次第です。
私の師匠、羽賀忠利範士八段は現在82歳ですが、私(53歳)が掛かっても一本も打てません。剣道は生涯続けて行ってこそ、稽古の意味と深さが分かってきます。皆さんも剣道を一生続けて、後輩の皆さんを導ける人になってください。
稽古の意味を良く理解して。
■間合い
間合いとは相手と自分の距離の事をいいます。
この間合いには、形に現れる間合いと、心で感じる間合いがあります。
□形に現れる間合い
「遠間」「中間」「近間」「一足一刀の間」「打ち間」等といっています。これらは全て自分の感覚的なもので、各自の身長、腕の長さ、脚力などで距離間隔が異なりますし、相手の反応力によっても異なってきます。
自分の間合いを自得する為に、一応の参考(目安)として考えておいて下さい。
- 遠間=竹刀がまだ交差しない所で、剣先と剣先が15㎝くらい離れたところ。
- 中間=竹刀と竹刀が接触する間合い、触刃の間といい一番注意がいるところ。
(ここから本当の攻めに入り相手を崩す間合い) - 近間=剣先が交差する間合い、交刃の間といい、自分又は相手が攻め込んだところ。(この間までに攻め込みが無く、相手の反応が無いのは気が抜けている)
- 一足一刀の間=自分が一歩踏み込めば相手を打つ事ができ、一歩引けば相手の攻撃をかわせるところ。
(相互の集中力に差がある場合や身長、脚力で異なる) - 打ち間=自分が完全に相手を攻め込んだり、相手が間合いに入ってきた場合で確実に打突できるところ
(個人差があり、どの距離でも確実に一本取れる間合いは打ち間)
□心の間合い
心の間合いとは稽古の地(実力)がどれだけ出来ているかで個人差があります。相手との攻めぎ合いの中で、どの時点で危険度を感じるか?
油断している人は中結いのところで竹刀が交差していても、いまだ打突の機会も作れなければ危険も察知できない。
このような人を昔から間抜けといっています。確かに肝心の間合い抜けています。こんな人は簡単に打つ事が出来ます。
一番大切な事は、お互い全く油断をしていない状態で攻め合い、触刃の間から交刃の間に入る時に相手を崩させなければ本物ではありません。この、攻め合いこそが心の間合いなのです。これで崩れた相手も簡単に打てます。
そのお互いの攻め合いをどこで感じるか、中結いで感じるか、交刃の間で感じるか、剣先と剣先の触刃で感じるか、もっとそれ以前に感じるか、それはその人がどれだけ「間合い」と「攻め」を考えた稽古を常日頃しているかで異なってきます。
お互いに本当の実力が付き、攻め合いの交刃の間合いまで来て、お互いを攻め崩せなかった場合は先に手を出した方が負けです。これは恐くなったから手を出したのです。
又、交刃の間合いを過ぎて中結まで来てお互い頑張っているのは、心の間合いが解っていない証拠か、単なる意地の張り合いでしかありません。
こんな人は肝心の打ち間「打つべき機会」を逃しています。
日ごろから自分の稽古の緊張感を高めて稽古をする事です。
■礼
剣道は礼に始まり礼に終わるといいます。
皆さんは、稽古をする時、相手の人に頭を下げて、稽古の終わりにも頭を下げます。そうする事が、礼に始まり礼に終わる事だと思っていませんか?これでは不十分です。
本当の礼に始まり礼に終わるという事は、道場に入る前から始まり、道場を出るまでが礼の連続なのです。「礼、つまり相手の人に感謝する心」これが無しにただ頭を下げたのでは、本当の礼になりません。
感謝をする心、これが礼の根本なのです。
挨拶も「礼=相手の人を敬う心」から始まります。感謝、敬う心が剣道なのです。
特に、剣道は手に武器(竹刀)を持って、相手の身体を打つことによって勉強させてもらっています。だからお互いを敬い感謝しながら稽古をしなければ、犬の喧嘩より下等になってしまいます。犬は武器を持ちません。ここのところが非常に大切です。
剣道は気力一杯に積極的に戦う心を養います。プラス思考の人間を育てる目的で、そのために激しい稽古をします。だから、ややもすると粗暴になり易い。
もちろん、強くなるためには激しい稽古、荒々しい稽古は必要不可欠です。だからこそ礼の心が敬われます。
剣道の理念にいうところの「剣道は剣の理法の修練による人間形成の道である。」
この人間形成の根底にあるのが礼の心なのです。
稽古の中で自分の剣道が完璧であれば相手に打たれる事は絶対にありません。
しかし人間、完璧などという事はまずありません。必ず打たれる事があります。
打たれたという事は自分の欠点を相手から教えてもらった事になります。
教えてもらったら、教えてくれた人に感謝するのは当然のことです。
打たれて感謝、打たれて感謝、そして打たれて反省するのです。
どこかに欠点があったから打たれた訳ですから、謙虚に反省しその欠点を矯正していく、それは修行なのです。
剣聖、宮本武蔵は「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」と言いました。勝つときは必死で戦いどうして勝ったか解らない事があるが、負けるには必ず理由がある。だから負けた理由を考え、反省して、次の稽古に生かしていく。
打たれてありがとう。教えてくれた相手を敬い、自分で謙虚に反省して、打たれてありがとうと感謝をする。打って頂いてありがとう、打たれた欠点を教えて頂いてありがとう。感謝、感謝が本当の剣道の求める「礼」のあり方だと私は信じています。
打たれてこん畜生などと思っている間は、まだまだ自分は未熟だと反省して下さい。打たれて、相手を認めない人がたくさんいます。打たれた後、叩いてくる人です。真剣で真摯(しんし)ではありませんね。打たれたと事は真剣勝負ならそこで死んでいます。死人が相手を打てる訳がない。
相手の人を敬う心があったら、絶対にやってはいけない行為です。
皆さんも自分が大切なら相手の人を敬って、気持ちの良い稽古をしましょう。
お互いに厚い礼の心を持って、楽しく、楽しく稽古をして下さい。
■剣道の要は左に有り
普通、中段の構えは、右手、右足を前にして構えます。
そのため、ややもすると右手で竹刀を振り、右足で踏み込むことになり、右半身で流れた打突になりやすく、冴えのある正確な打突とはなりにくいものです。
そこで特に意識して左側を鍛える必要があります。
□足=左足
打突をする時は右足で踏み込むため、右足で身体を移動させると思いがちですが、これは大きな間違いです。
実は左足で床を蹴り、右足は床を擦るように低く幅広く膝を前に伸ばすようにして踏み込むのが正しいやり方です。(右膝を高く上げない。踵が痛む)
この時、身体が右半身のため、左足が左方向すなわち撞木(しゅもく)に開き易い。撞木に開いていると左足の、足の裏、親指の付け根の部分だけで床を蹴る事になり、自分の体重のほとんどが左足首の内側の一部にかかるために、足首のねじれ(撞木)でアキレス腱が切れやすくなる。事故防止はもちろんのこと、一番肝心な床を蹴るための大きな力が出ない。
左足はまっすぐ相手に向け、右足と平行にして(意識して左膝を右膝の内側へ寄せ、膝を伸ばし踵を2㎝上げる)足の裏、指の付け根全体で、確実に床面を踏みしめる。
こうすれば、出端やとっさの打突に、床面に力が伝わり強い踏み込みが出来る。
□腰=左腰
人間の身体で一番重い部分はお尻、身体の中心が腰。
体重移動でこの部分がしっかりとしていなくては全ての格闘技は出来ない。
右半身に構える剣道では素早い体重移動が求められ、又、強い体当たりなどもある事から腰の締まりが大切になる。
それには左腰を少し前に出し(左膝を右膝に寄せる事により腰も前に出る)股間を軽く締める。そうすると腰が締まり、骨盤の上に背骨がまっすぐ乗り、左膝を伸ばす事で、(踵を床面から2㎝ほど踏み下げる)背筋がまっすぐに上に伸びる。
そして肛門をを締めて下腹に軽く力を入れれば、臍下丹田(せいかたんでん)に力が入りやすくなる。
腰に力が加われば姿勢が崩れにくくなり、体さばきが容易になり、力強く美しく気品のある剣道につながります。
□手=左手
左手は竹刀の上げ下げの力の源で、構えにおいて左手は命を守る源になります。
昔から、左手の納まりでその人の実力が分かる、といわれています。
(左手の納まり=左手の位置がお腹から一握り半、親指の第一間接がへその高さで無駄に動かず、落ち着いている)
又、臍下丹田(せいかたんでん)の力が左腕の裏筋を通って左手の小指を通じ剣先に現れる、ともいい左手の納まりがその人の剣道の自信の現われにもなります。
左手は竹刀に密着させ締めすぎず、緩めすぎず、小指と薬指、中指を軽く締め、臍の前に落ち着かせます。
■竹刀と刀
剣道の剣はツルギ=カタナです。
江戸時代後半に竹刀と防具が考案され、それまで木刀で行われていた形稽古が怪我のない実際に打突の出来る防具の稽古に変わり、現代に続いています。
しかし最近の剣道は昔の刀から始まった剣道が忘れ去られたのごとく、ただ竹刀を打突部位に当てればよい、というような風潮に流れています。
これでは剣道でもなければ、稽古(=昔を考える)でもありません。
稽古で真剣や木刀を使って稽古すれば、実際打ち込む事もできず怪我の心配があります。だからこそ竹刀と防具が考案された訳ですから、「竹刀はあくまで刀の代わり」。
竹刀の操作方法も出来る限り刀の操法(そうほう)に近づけるべきだと私は信じています。それでなければ剣道とは言えないと思います。
私の師匠、羽賀範士は「切れる剣道」の推奨者です。
切る剣道といえば「ぶった切る」という野蛮な事を連想しがちですが、そうではなく刃筋を立てた正しい竹刀の操作法を身に付けなさいという事なのです。
実際、正しい刀の持ち方で竹刀を持ち刃筋を通して振れば、竹刀ででも新聞くらいは切れます。たとえ刀であっても正しい持ち方が出来なければ新聞も切れません。
竹刀の柄は丸く、刀の柄は楕円形をしていますが、持ち方は一緒なのです。
刀の柄に巻いてある柄巻きの紐もだてに巻いてありません。
単に滑り止めと考えている人が多いようですが、ならば本当に滑らない持ち方とはどんな持ち方か?そこまで研究する必要があります。
平成11年の剣道日本3月号に正しい竹刀と刀の持ち方が羽賀範士の説明で載っています。ぜひ読んで参考にして下さい。
□正しい刀(竹刀)の持ち方
・指間を柄巻きの横(シノギの部分)、糸目の山を指と指の間に入れる。
・指先は反対側の柄巻きの谷に指先きが入る。(指で刀を持つ感じ)
・刀の柄巻きが手のひらの部分に来たら滑りやすい。柄の真上に小指球が乗る。
・手の甲の角度は両手とも同じで、床から90度になるように持つ。
□竹刀も同じ要領で持つ
・自分の目で上から手を見て小指、薬指、中指が見えたり、手の甲が見えたら失格。
・間違っても手首を絞り込んではいけません。茶巾絞りを誤解しないように。
・竹刀も刀も手の内に密着させて軽く握る。
・ただし、握り締めてはいけない。打突した時に冴えが出ない。
■剣先について
剣先が効いている、効いていないという事があります。
剣先というのは竹刀の先革の部分に相当しますが、剣先が効いている状態とは相手に対して剣先に威圧感があるという事です。
ではどのようにしたら威圧感が出てくるのでしょう。
以前に榊原正範士にお聞きした事があります。
「臍下丹田の力(気)が左腕の裏筋を通って、左手の小指を伝って剣先に現れる」と教えて頂いたのですが、これを実践するには長い年月の稽古と呼吸法などの研究が必要です。
最終的には先生の教えのようになる訳ですが、初心の段階では次のような事から始めてみて下さい。
- 先の延長線を相手の左目に付ける。
- 攻め入る時や、相手が攻めてきた時は、剣先を相手の中心線(眉間、鼻筋、喉からへそにつながる線)に付ける。高さは相手の反応で異なる。
- 手の竹刀をさばく時も出来る限り、自分の剣先が相手の身体の幅から出ないようにする。(昔から横振りに名人無し、といわれています。)
- 相手が無理矢理仕掛けてきたら、構えを崩さないで、迷うことなく一歩前に突く。
これを迎え突きと言います。
・相手に打たれてから後ろに下がって剣先を付けても無意味。
・前に出るか、最低でも相打ち覚悟でその場で突く。
・突く場所は喉か胸、胴は滑りやすい。
ただし、「ツッパリは技の止まり」と言う教えがあり、出来る限り応じ技か返し技を使う。この稽古法は相手の攻撃に動じない心を作るために有効で、動じてしまったら無意味。
* 相手に打たれてしまってから慌てて剣先を付けようとするのは愚の骨頂。剣先を付ける事が目的ではなく、心を動じさせない事が目的だという事を肝に命じる事。* - 相手の剣先をむやみやたらに押さえたり、払ったり、カチャカチャしない。・剣先をいじるのは、相手の剣先が気になったり自分の心がそこで止まっている証・気持ちが伝わらないばかりか、いじればいじるほど、右手に力が入りやすい。
昔、清水の次郎長というやくざの親分が山岡鉄舟先生に「刀での斬り合いの時、相手の刀を一寸押してみて押し返してきた奴は必ず斬れるが、押して見てふわりと逆らわない相手には刀を引いて逃げてきた」と話したら、先生が「お前は利口だ」と言われたという逸話が残っています。味のある話です。良く考えて下さい。
最初はこの話などを参考に稽古に励んで下さい。剣先が効いてきます。
■打突の機会(Ⅰ)
打突の機会は色々沢山ありますが、ここでは一般的に解りやすい機会を説明します。
出端(でばな)=相手の人が技を出そうとする起こり端。
どんな名人でも技の起こりは必ず力が入ると聞いています。
出端技は、相手の攻撃を待っていたのでは後れを取ります。
自分から攻めて相手を不安な状態にし、飛び出してくるところをとらえる工夫をします。
□出端篭手
・相手が面を打とうとして竹刀を上げる瞬間に相手の右篭手を打つ。
・相手の竹刀が上がりますから、自分の竹刀を上げる事なく、自分の右足を相手の右足の方向へ踏み出して打つ。
(剣先の延長を目の高さに維持すれば、自分の竹刀と相手の手首との高さに約20㎝位の高低差があるので、鋭く手の内を効かせて打てば、竹刀を上げなくても十分強い打ちが出来る。)
○コツとして自分の左手を少し左前に十分に伸ばして打てば、相手の篭手と自分の竹刀に角度ができ、正確に篭手をとらえる事が出来る。
□出端面
・相手が打突の気を見せ身体を前に出そうとした瞬間、相手より早く面を打つ。
・相手を攻めた状態をしっかりと維持し、左足を十分に引きつけていつでも飛べる体勢を作っておく。
・特に左足はヒカガミ(膝の裏側)を伸ばし、踵を床から2㎝位上げて十分に踏まえておく。
・剣先は相手の中心線をしっかりと取り、相手を突く気持ちで左手から竹刀を押し出すように十分に剣先を上げ、打ち切るだけの振幅をとり打ち下ろす。
○打ち込む時の体勢は、腰を少し前に出すようにして左足で床をしっかりと蹴り。身体
全体を前に出し、右足は低く幅広く前に踏み出す。
□抜き胴
・相手が面に打ち出してきた瞬間、身体を右にさばきながら素早く胴を打つ。
①自分の右足を相手の左へ踏み出し、②左手と右手をすりこ木を回す要領で竹刀を回し、③右手を返し十分に胴へ打ち込むとともに④左手を自分の中心へ引き戻す。
・相手とすれ違う時、自分の左肩を入れ込ませない気をつける。
・打った時、左手は右手の位置より必ず低い位置で打つ。
・片手打ちにならないように、両手で十分に右胴を打ち、直ちに力を抜きすり抜ける。
○姿勢を崩して前かがみになって打つ光景をよく見かけるが、姿勢は崩さないように心
がける。左足の送りが早ければ姿勢の崩れが少ない。
○打突の瞬間左肩が入る(前に出る)と、窮屈になり腕の自由を失い上手く打てない。
出端技は十分に攻めきった状態で初めて効果があり、思いきり打つ事が大切です。
気力で負けていたら絶対に技は成功しません。
■打突の機会(Ⅱ)
打突の機会で大切なのは、打つ前にどれだけ相手の人を崩せるか?ということです。
相手を崩すとは、相手を、ハッと驚かせる(居付く)、ホッと息を抜く(油断)、打ちたいと焦らせる(起こり)、慌てさせる(迷い)、などの不安定な心理状態に追い込む事をいいます。
相手をこんな状態にする為には、強い攻めが必要です。
「攻撃は最大の防御なり」という言葉があります。
一般に強い攻め=攻撃=打突、と考えがちですが、打つ事と攻める事は異なります。
攻めて崩して、その後、打つのが本当の剣道です。
焦って慌てて攻撃(打突)をしても、相手に付け込まれるだけで攻めたとはいえません。ここの所をよく理解しておいて下さい。
「打って勝つのではなく、勝って打て」という事です。
では、攻めるの「攻め」とは何でしょう。「攻め」というのは奥が深く、その人の修行の段階に応じて理解できる度合いが違います。
そこで、皆さんに解りやすいように簡単に説明します。
□元気がある事(元気=積極的に行動する)
元気があって積極的に行動できる時は、気力旺盛で、相手を恐れず、思い切りのよい技が自然と出てきます。
元気とはものとき=人間本来持っている生きる力で、陽気で朗らかで、楽しく、積極的、はつらつと何の心配もしない心の状態を維持している時です。
誰でも持っています。何も特別の事はありません。
□強い集中力を持つ事(集中力=油断をしない)
集中力が極限の状態の時は、今行われている事(剣道)のみに心が動いていますから、他の事にはいっさい心が動きません。
「攻撃する」「守る」「観る(溜める)」などは日ごろから十分に稽古をしていれば、打突くの機会になると身体が自然に動き、気が付いた時は打突が終わってしまっています。
この二つの要素が良い状態で一つになっている時が、「攻め」になっている時で、いつでも打てる状態になっています。
相手から見れば、大変恐い状態であり、冷静沈着な判断が出来にくくなってきます。
これが攻めるという事になります。
打突の機会は目に見える現象では、出端、引き際、居付いた所、受け止めた所、油断した所、技の尽きた所、焦った所、慌てた所(急がせて打つ)といった教えがありますが、全て相手の心の動揺を作るのが始発点。
相手の心を動揺させれば打突の機会を作る事ができ、必ず勝つ事ができます。
剣道の講話
私が、現在一番信奉している3人の先生方から貴重なお話をカナダで聞く事が出来ました。皆さんにもご紹介します。
○楢崎正彦 剣道九段範士
この度、朝岡先生のご依頼と、羽賀先生を通じて是非にということで、同期の中西範士も同行してくれるとの事で、この道場開きにやって参りました。
今、皆さんの稽古を頂きまして、レベルの高い稽古で、真面目に取り組んでいられる事に感銘を受けました。剣道について何か話せという事ですので、せっかくの機会ですから、一言申し上げてご参考にして頂きたいと思います。
1に剣道でまず大切なのは、姿勢です。まず正しい姿勢を作る事、正しい姿勢の元にしっかりとした構えが出来る。しっかりとした構えの人は勝つべくして勝つ。
構えの崩れている人は、当てようとか勝とうとして、早打ちをしてしまう。
2番目は、臍下丹田に気を溜める。宇宙に充満している気を自分の臍下丹田に取り込む。そのためには、呼吸法です。努力して息を長く吐く呼吸法をマスターして下さい。
3番目はしっかりとした姿勢からの構えで、臍下丹田に充実した気力を溜めて、打ち切る事。面を打つと決めたら、打ち切る。それに賭ける。中途半端な打ちは一本にならない。
この3つの事を心がけて修練して下さい。
○中西 康 剣道九段・居合道八段範士
ひとつは間合いと攻め合いについて気の付いた事を申し上げます。
間合いは、触刃の間合いから交刃の間合いに入るところが本当の攻め合いです。
中間の攻め合いは本物でない。交刃の間合いに入ったら思い切って捨てて打つ。
二つめは面を打つ時は恐怖心を捨て切って打つ。小手を打たれるとか、胴を抜かれるとか、突きを突かれるとか、一切考えないで、思い切って打つ。
小川忠太郎先生は「85歳になってもまだ満足のいく面打ちが出来ない」と言っておられた。本当の捨て身の面打ちを一生掛けて勉強して欲しい。
三つめは中心を取り、突きを思い切り出す。突きから攻めてはいる。又、突きを恐れていては本当の剣道は出来ない。
四つめは左手をしっかりと収めて、心の目で相手をしっかりと見る。現象面に惑わされてあたふたしない稽古を心がけてください。
○羽賀忠利 剣道・居合道八段範士
自分の稽古が解らなくなったら、原点に戻りなさい。
原点に返って、切返し打ち込みを身体を掛けてやる事。
道に迷ったら、元に戻るのが一番。稽古はそこが出発点です。
掛り稽古や打ち込みは、中学生のやる事と思っている人がいますが、大人になっても一生懸命にやる人が本当に大成功する人です。
■面にこだわる
剣道の高段者の先生方が飛び込み面を打て、飛び込み面を打てと口を揃えて面打ちを奨励されるのは何故か考えた事がありますか。
勿論、全ての技に好き嫌いがあってはいけませんし、各技ごとに優劣がある訳では絶対ありません。
しかし、先生方が稽古の中で面うちを奨励されるにはそれなりの理由があります。
- 面は一番遠い打突部位で、打ち込むには思い切りよく、捨て身で打ち込まなければならない為に、脚力が付き、積極性と勇気を養う事が出来る。
- 十分に攻め込んで相手を崩して打ち込まなければ、逆に相手につけこまれて、出小手や抜き胴、あるいは迎え突きなど逆襲される。そのため、麺を打つには正確に相手を攻め崩す事が必要となり、しっかりとした攻めが身につく。
- 面打ちは、小手や胴打ちと異なり打ち込む時に姿勢が崩れにくい。その為、腰が安定して刃筋の立った正確な打ちが出来るようになる。(出小手や抜き胴ではよく姿勢が崩れるのを見かけるが姿勢は絶対崩さない事)
- 小手、胴、突きは自分の前面にあり、自分の目で確認できるが、面は頭上にあって自分では見る事が出来ない為、隙ができやすい。
- 面の防御は往々にして手元が浮きやすく、その為に相手の崩れを誘い別の技の攻撃をする機会も増えてくる。
など、この他にもたくさんの理由があると思います。
面打ちは、見た目は単純な技ですが、本当に奥が深く、私もまた、究極の面を求めて修行していますが、なかなか自分で納得の出来る面打ちが出来ません。
剣道は面打ちに始まり、面打ちに終わる。
私にとって、この面打ちは真面といい「心に迷いなく」「色が無く」「まったく無駄のない」「捨て身の打ち方」で、この研究修行は生涯続くと思います。
皆さんも心して面打ちの研鑚(けんさん)を積まれる事を祈ります。
*修行上の注意
俗に言う「刺し面」は、なんでもよいから早く当てて勝とうとする、人間の心の貧しさ、弱さから発生したもの。
修行として剣道を学ぶならば、刺し面は自分の恥として絶対に行なってはならない。
信念を持って正しい面打ちに取り組んで下さい。
■中心を取る
剣道では相手との中心の取り合いという事がよくいわれます。
これは、自分の竹刀を相手の水中線(中心線)に付けておけば、攻防の際自分を有利に導く事が出来るからです。
例えば攻撃の時、舟の舳先(へさき)が水を分けて進むのと同じく、相手の竹刀の動きを制御しながら間合いに入る事も可能になるし、何しろ攻撃ポイントに一番近い位置が中心線でもあるからです。
また、相手を崩す一番の方法として、竹刀の延長線を相手の眉間(目と目の間)に付けて攻め込むと、相手は竹刀の長さが判断できず、更に目に対する攻めから生じる恐怖感はこちらにとって大変な効果を得る事が出来ます。
これは、全ての動きは視覚で判断する為に、目を攻める事により相手の注意力を簡単に削ぐ事が出来るという事なのです。
どんな人でも突然目の前に物が飛んできたら、目を閉じて避ける動作をすると思います。このような事からも攻めの効果を簡単に理解できると思います。
また、自分の竹刀が相手の中心にあるという事は、相手が繰り出す技を容易に防御できるという事です。
相手の技は必ず相手の肩から発せられますから、肩と肩の中心に自分の竹刀を位置しておけば、仮に相手が片手技で攻撃をしてきたとしても、自分の竹刀は一番防御しやすい距離にあるという事です。
たとえ相手の攻撃が早く防御が遅れた場合でも、中心線を譲らず一歩前に出れば相手を迎え突きに制する事が出来ます。これは、相打ちです。
この時、後ろに下がってはいけません。下がれば相手に打たれた後に剣先を付ける事になってしまい、相打ちになりません。ここは大切な所なのでよく工夫して下さい。
特に注意して欲しいのは、剣先を相手に付ける事ばかりに心が働いている人をよく見かけますが、これは良くありません。
高野佐三郎と言う先生は「突っ張りは技の止まり」と戒めておられます。
出来る限り応じ技か返し技、すり上げ技などで対応して、やむを得ない時のみ、相手の喉(中心)に剣先を付けるように心がけてください。
なかには、剣先を何が何でも付けなければと、付ける事が目的となり、必死のあまり打たれてしまっているにも関わらず、剣先を慌てて付けてくる人がいますが、これは笑止千万。心が動いて(動揺して)崩されて、打たれて、打たれた後いくら剣先を付けたとしても全く意味がありません。
真剣勝負なら、討たれて死んでしまった人が相手に剣先を付ける事ができますか。
もし、こんな事を自分の稽古の中でやっているとしたら、自分の剣道を大いに反省して、剣道をもっと高い所で見る心がけをして下さい。
「中心を取る事」「中心を割る事」の目的と手段をよく理解して、本末転倒にならない様に十分注意して稽古に励んで下さい。
中心を取るためには、相手に驚かされない不動の心と、リラックスした肉体(自然体)が必要です。中心を割って間合いに入るには、相手の動きをしっかりと見て(心の洞察)、思い切って攻め込む強い意志(闘志)が必要です。
■見取り稽古
剣道では見取り稽古が大切です。
見取り稽古とは、先生や他人の稽古の良いところを見て研究して、自分の稽古に取り入れる事をいいます。
私が尊敬している榊原正範士は、
「自分の理想の先生がいたら、その先生の稽古振りを脳裏に焼き付けなさい。
そして自分もあのようになりたいと、常々念じながら稽古に励みなさい。
そうすればいつか必ず、そのような稽古振りになります。」
また、羽賀忠利範士は、
「自分の尊敬する先生の、歩き方から咳払いの仕方までにてくるくらいにならないと、
本当にその先生から学んだ事にはならない。」
とも言われました。
私もそうなれるように努力してきたつもりですが、なかなか先生方の剣風に近づくのは大変な事です。
では、どのように見取り稽古をするか、どんなところに気を付けて見るか、ただ漠然と他人の稽古を見ていてはいけません。
- 真剣に、真摯(しんし)に拝見する心掛けが大切。(正座をして拝見する位の態度で)
- 自分と違う所を探す。(特に自分に出来ない姿勢、態度や技術、より優れた所を見つけ出す)
- 正しい事だけを取り入れる。(現象面にとらわれて間違った事を取り入れると大変)
- 漠然と見ない。(局部的にしっかりと見て取り入れないと、なかなか掴めない)
- 真似る事から始める。(失敗を恐れずにまず真似てみる、真似る事=学ぶ事)
- 下位の人に試してみる。(余裕を持って勉強する為に、下の人から試してみる)
絶えず工夫をする。(どの様にしたら自分が同じ様に出来るか考える)
以上のような事に気をつけて見取り稽古を心掛けて下さい。
*子供たちを見ていると、その子供が誰に心を引かれているかがよく分かります。
子供の癖が先生の癖によく似てくるからです。
先生は真似られて恥ずかしくない剣風を身に付けたいものです。
子供たちに変な癖が出てきたら、先生はまず自分の剣道を反省して見て下さい。
子供は師匠の鏡です。先生の出来ない事は、子供も出来ません。
正に、人の振り見て我が振り直せということです。
心して修行したいものです。
■もう一つの構えについて
剣道の構えには、
*形で作れるすなわち身体で表現する「身構え」と、
*形に見えない精神状態のあり方、すなわち自分の意志を表現する「心構え」、信念を表す「気構え」、何があっても動じない「腹構え」があります。
- 身構えは、足の踏まえ方、姿勢、竹刀の持ち方、左手の位置、剣先の付け方などをしっかりと念頭に置き、形から作り上げていきます。
- 心構えは、ヤルゾという自分の意思、心に自分で言い聞かせます。
- 気構えは、意思の段階を通り超え、一つの信念にまで高まります。
- 腹構えは、修行が高まり極まると、何時いかなる場合でも動ずることなく、泰然自若(たいぜんじじゃく)とした行動ができるようになります。
通常構えといえば1の身構えのことをいいますが、もう一つの構えとは心の構えです。これは2~4のような精神状態をいかに保つか、という事です。
形は努力すれば、容易に身に付ける事が出来ますが、心の部分はなかなか難しいものがあります。
心構えの心について、ある禅のお坊さんが言った次の言葉があります。
「心こそ、心惑わす心なり、心に心、心許すな」。
大変上手くいったものとは思いますが、その心も気の持ち様でどの様にもなるものです。
心は見ることは出来ませんが、自分がいつも考えていることが心の現われです。
その心をいつも積極的に働かせる訓練をします。つまりプラス思考です。
気の構えの気は、中国の考え方では「目には見えないが、ものを動かす力」といわれています。空気(風)、蒸気(圧力)、冷気(水~氷)、電気(雷、モーター、電灯)等、全て気という字がついています。この力を自然の力、宇宙の力とも考えています。
人間においても、陰気、陽気、気が強い、弱い等といわれています。
陽気で、気の強い人は気(宇宙の力)を集める事が得意な人、陰気で気の弱い人は気を集める事が下手な人と考える事が出来ます。
心の段階では、人間の考えることには当然迷う事もありますが、気は宇宙の力ですからそこに迷いがありません。
人間本来持っているのが「元気=生きる力」です。
元気を出して、気力旺盛になれば、迷いが無くなります。迷いが無くなれば信念になります。信念にもう一つ磨きを掛ければ、覚悟が出来ます。
これで腹構えとなります。覚悟が出来れば、腹構えが自然に身に付きます。
覚悟さえ出来れば何時何処で何が起ころうとも、泰然自若(たいぜんじじゃく)とした生き方が出来るようになります。
剣道の心の勉強はこの腹構えの段階に進めるように努力するのが本来の目的なのです。
■風格について
剣道の稽古はその人によりそれぞれのスタイルがあり、それを「剣風」といいます。
その剣風に、風格がある、風格がない、等といわれる事があります。
では、どのような稽古の人が風格があり、どのような稽古の人が風格がないのでしょう。
大変極端な言い方をすれば、風格がある=気品がある、風格がない=下品な稽古、です。
持田盛ニ剣道十段範士は「気品とは花に例えると香りのようなもの」と言われました。
花は目で見ることにより美しいと感ずるのですが、見ることは出来ないけれど「香り」があって、より一層のその花の気高さが伝わります。
剣道では稽古をするその人が花なら、香りはその人がかもし出す雰囲気という事が出来ると思います。
剣道の稽古ではその人の性格が顕著(けんちょ)に出てきます。
従って、その稽古振りでその人を判断しがちですが、それは大変危険です。
その人が育った剣道環境の中で、花だけ(技術)教えられて、香り(人間性)の部分を教える指導者に出会えなかった人は、不幸にして「香り」を知らない訳ですから、あまり良くない稽古をしているからといって、必ずしもその人の責任ではありません。
勿論、その様な師匠を選んだ本人、親、環境の責任もないとはいえませんが、それよりも、本当に良い先生との出逢いというのはそう簡単にある事ではありません。
又、出会っていたとしても、自分がそれを求めようとしていなかった場合、それに気づかずに見過ごしてしまいます。
しかし、この様な「花と香り」の関わりに気が付いたら、即刻自分の稽古を改善する努力はしたいものです。
まず風格のある稽古を目指すには、次の事を心がけて下さい。
- 一生懸命真剣に取り組む事。(元気一杯と稽古をする。充実した気勢)
- 打っても打たれても、姿勢(心)を絶対崩さない稽古を心がける。
- 剣道の理合を研究(本を読む)し、出来る限りそれに沿って勉強する。
- 竹刀は刀の代わり、当てっこでなく刃筋の通った正しい竹刀操作を身に付ける。
- 正しい構え(安心立命の構え、三角矩の構え)をしっかり身に付ける。
- 打たれても、剣先を相手の中心から外さない稽古を心がける。(ハッと驚かない)
- 無駄打ち、無理打ちは絶対しない。一本(一つの動作)で仕留める工夫をする。
- 常に正しい間合いで稽古する。(触刃の間~交刃の間合いでの攻め合い)
- 打たれる事を気に掛けず思いきりのよい稽古を心がける。(捨て身)
- 絶えず相手を敬う心を忘れない。打ってやろう等と不遜な事は絶対考えない。(被き技やフェイントは出来る限り出さない、だまし討ちは武士道の恥と心得る)
その他にもまだまだ学ぶべき事があると思いますが、自分なりに先生方の稽古をたくさん拝見(出来るだけ多くの稽古会に参加すること)して下さい。
本当に良いと思える先生を見つけたら(世の中には立派な先生が大勢いらっしゃいます)その先生に憧れを持ち、何時か自分もあの様になりたいと懸命に努力し続けて下さい。私もその様に心掛けています。
■突き技について
突きというの技は大変面白い技であると思う。突かれた人がカアッとなって怒る事がある。また、上位の先生に突いたら失礼だ、と言う人もいる。
剣道の試合規則にも「突き」という技が確かに認められているにも関らず、なぜ毛嫌いされるのか私には理解しにくい。
多分、突きという技は外れたら痛いし、それだけ強烈な恐怖感があるから毛嫌いされるのだと思う。しかし、私は突かれて怒ったり、上位の先生に突いたら失礼になるという考えは間違っていると思う。
私の若い頃、既に60歳は優に超えておられた渡辺敏夫範士に稽古をお願いし、何をしても通じず、思い切って突きを出したら見事に決まった事がありました。
その稽古の後、先生に大変誉めて頂き、ご褒美に先生の竹刀を頂いた思い出があります。
又、NHKの剣道八段審査「120秒 心の戦い」のビデオの中で、持田範士に対し某八段の先生が突きを出されたら、持田範士がその突きをなやし、突き返しておられる一コマが写っていました。ですから、上の先生に突きを出したら失礼だという事はないのです。
さらにいえば突かれて怒るというのも、何ともおかしな話です。
相手が突きを出してきたらなやしたり、突き返したりする稽古のチャンスであり、突かれて怒るというのは自分が未熟な証拠ではないのでしょうか。
相手を敬いながらお互いを高めるのが剣道ですから、感情的になって無理矢理メチャ突きに突き返すなどという事は、絶対にあってはならなことだと思います。
しかしながら、遠慮しながら突いたのでは決まる技も決まりません。
私の師匠、羽賀先生は「突きは相手の喉の裏まで突き通すつもりで突きなさい。」と言われています。
中西範士も「突きを恐れていては本物の稽古にはならない。」と言われています。
私は中学生でも初段を取っていたら、稽古の中だけでも突きの稽古はした方がよいと思います。どうせ高校生になれば突き技は認められている訳ですから、早いうちに突きからの恐怖感に慣れておいた方が得策です。
私の剣友に突きを得意技の一つにしている北海道の古川教士がいますが、彼は「突かれたら感情的になるのではなく、ニッコリ笑って突き返す。」と言っています。
指導に立つ側の人は若い人が突いて来たら〔胸を開けて突かせてやる〕位の心構えが欲しいものと常々考えています。指導者が突かれてビビッている様では話になりませんからね。
私も突かれて3日間程、喉に物が通らなかった事を何度も経験しています。
そのおかげで突きは恐くなくなりました。
皆さんも突く時は失敗を恐れず、思い切って突く心掛けをして下さい。
*突きを得意技にしたいと思ったら、一人稽古で古タイヤやボールを天井か木から吊るして突く練習を心掛けてください。集中力と、命中力がつきます。
突く時は、右手で突くのではなく、足で間合いに入り、腰を入れて、左手で突く事(左片手の意でなく、両手で突くか左手を中心に、との意)を研究して下さい。
■捨て身について
最近、若い人と稽古をしていてよく感じる事ですが、打った後すぐ受けに回るか、甚だしい人は受けながら打って(当てに)くる人がいます。
「そんなに打たれたくないのかなー」と思ったりしています。
「そんなに打たれたくなかったら稽古をしなければよいのに。それなら絶対打たれる事がないのになー」などとちょっと意地悪く考えてしまいます。
そんな中途半端な打ち方ですから、もちろん一本になる打ちとかからは程遠いものです。
「打たれずに打つ」そんな都合のよい方法があるのなら、私も教えてもらいたいと思いますが、残念ながら未だに見た事も、聞いた事もありません。
昔から「皮を切らせて肉を切り、肉を切らせて骨を切る」とのことわざがあり、相打ち覚悟でリスクを承知の上で打込んでこそ、初めて開ける道がある、と私は確信しています。
私の剣友でもあり、よくご指導頂いている警視庁の千葉仁先生は、ある講習会でご一緒した時にこんな話をしておられました。
「自分が面を打つと決めたら、腕(小手)一本と相手の命と交換する覚悟で打込む。」さすがは全日本優勝3回、明治村八段大会優勝、などの戦歴を誇る大先生。
その思い切りのよさが、過去の素晴らしい戦跡につながっているのは間違いありません。
又、楢崎範士も、
「面を打つと決めたら、小手を打たれるとか、胴を抜かれるとか、そんな事は考えないでしっかりと面を打つ。捨て切って打つ!」と言われています。
但し、ただ闇雲に打込めという事ではありません。これは自殺行為です。
捨て身とは、よく一か八かの賭けとか、自殺行為と考えがちですが、絶対違います。
大切な事は、まず気力で相手に勝ち、攻め抜いて、相手が我慢しきれずに出てくるところ、ハッとして驚いたところ、相手を攻めて崩したところ、などの機会にだけ思い切って(心のなかの欲や不安などを捨てて)打つという事をいっている訳です。
攻め負けていたらそれこそ自殺行為になります。又、正しい機会を捉えていない場合は無駄打ち、無理打ちになります。
しっかりとした攻めがあって初めて、機会を作る事も捉える事も出来ます。
以上のように攻めということを伴った上での捨て身で打込む事の大切さを知る事です。よくよく研究して下さい。
■道場について
道場とは、剣道を稽古する建物のことだと思っている人が多いと思います。
確かに私達は「剣道道場」へ行って防具を着けて稽古をしますが、本当の意味での道場は読んで字の如く道の場なのです。
道を学ぶ場所ということですから、それならば、何時何処でも剣道の勉強の出来る所が道場です。
例えば道を歩いていても足さばきの稽古が出来ますし、鞄や傘を持っている時に左手の握りを意識して持ってみたりすれば、もうその場所が道場です。
階段を上がるときに左足の蹴りを意識して上がれば、そこが道場になる。
「平生是れ道場」普段の生活のなかで何時でも何処でも道場と心得れば、剣道の意識を持つだけでも常に研究・工夫が出来ます。
でも、世の中には様々な考え方があるものです。
ある剣友が、以前「剣道即生活のような生き方は嫌だ」と言ったことがありました。
私は「アア、ソウ」とだけ応えました。別に逆らう必要もなく、自分の考えを押しつける気持ちもなかったからです。
しかし剣道は修行であり、修行とは長く続けて取り組んでこそ、初めてその成果が現れて来るものなのです。
例えば道を歩いている時、ただボーッと歩いていても時間は過ぎていきます。チョッとした意識の持ち方だけで、その時間を有効に使うことが出来る。
人が皆平等に持っている時間、一日24時間は誰に対しても24時間なのです。
ほんのわずかずつの時間でも無駄に過ごしている人と、有効に使うことを意識している人とでは一生の間には大きな差が出てくるということは、誰にでも分かると思います。
何時でも、何処でも研究・工夫する習慣を身に付けたいものです。
時間と道場は何処にでもありますから!!
追記、この教本は、後輩の教士七段、坂井 旭氏の志貴野剣道教室の為に書いた物です。
此処の道場主の島林さんは、青少年の情操教育にと、無料で道場を解放され、坂井氏が手塩に掛けて育ててきた道場です。私がカナダに移住したとき、止めた子供の中古道具を寄贈して頂き、カナダで少年剣道を盛んに出来た、陰の功労者なのです。
その時のお礼に、志剣と名づけて、書き下ろしました。未熟も省みずサイトに乗せましたのは、皆々様のご叱声をお聞きし、自分の剣道に対する研究の確認と、今後の勉強の糧にしたいと考えたからです。又、再記入はゲスト剣士みゆきさんの労作。感謝です。