Canada Youshinkan Kendo Dojo

「苦い思い出。」

昨日、剣道愛好家が集まるMIX@なるサイトで、刀、試し切りに付いて書いた。
皆さん剣道をやる以上、結構切る事には興味がおありのようで、お返事も多かった。

熊が、剣道、イヤ居合道を始めたのが23歳の事だった。その居合いの稽古をしている道場にたまに稽古の来られる高校時代からの憧れの先生がいた。生涯の師、村雲清信先生だった。

お話を伺うことも無く、時間が過ぎ、先生の道場が新設され、先生はお稽古に見えられなくなった。その当時熊は県下で君臨する大範士の元で居合いを学んでいた。
ある日、全剣連第一位号の居合道範士九段が村雲先生の道場で講習会をやるという情報を得て、参加させていただいた。

その場に、例の大範士が、九段に挨拶に見えられて、仕事で参加は出来ませんが、ご挨拶だけと言う事で、途中で講習会を退席された。その翌日、大範士の稽古会で、熊は大範士に呼ばれて、「昨日はどんな事を教えられたか」と問われた。まるでスパイ。

熊は、大範士に正直に伝えた。「先生、居合いに理合いがある事を始めて知りました。何の為にその形が在るのか、どうして刀はこうして使わなければ成らないのか、初めて知り、目からうろこが落ちる思いでした」と告げた所、

大範士は、「そんな、イラン(必要ない)事を聞かんでも、俺の言う事を聞いていたら、段はやるぞネ」と言われた。熊は何かが違うと感じた。自分が今学んでいる居合いは、何なのか、段は確かに欲しいが、果たしてその段は本物なのか?疑問が湧いた。

そこで、愚直な熊は、刀を納め、先生に挨拶をして、帰宅してしまった。当時その大範士を稽古後お宅までお送りしていた。その事を忘れていた。それくらい腹が立った。
俺は本物を学びたい。武道心とは其れが原点ではないのか。

そして次の稽古から、村雲先生の道場に顔を出した。だが指導を受けるでもなく、ただ、神伝流居合いを抜いていた。村雲先生は直伝流。先生は2ヶ月間何も言 われなかっつた。だが2ヶ月を過ぎる頃、熊にここで居合いを本当に学びたいなら、直伝に変え流しなさい、それと、君は高校時代剣道で鳴らしたのだから剣道 もやりなさい。

そこで熊は、先生に入門させて頂いて宜しいでしょうか、と聞いた。
恐らく先生も返事には困ると思った。何しろ、大範士の秘蔵子である熊を自分の道場に入れることは、相当な覚悟が居ると思ったからだ。

答えは「君がいい加減に取り組むようなら、声は掛けなかった。だがこの二ヶ月君は真剣に稽古をした。其れを見ていたから声を掛けた、大範士のことは心配要 らない、俺が面倒見る。心配するな。だだ、色々出て来るだろうが、稽古をやり抜け、実力をつける事だ。力が付けば誰もモンクが言えなくなる。」その言葉で 改めて入門をお願いした。

先生に迷惑を掛けては行けないと思い、真剣に稽古をした。毎日何処かで稽古もした。
五段を拝受まで、大範士だけは絶対に票は入れてくれなかった。必ず批判をされた。
だが、熊を滑らせると全員が落ちることに成る。熊の稽古熱心は、誰もが知っていた。

熊がカナダ行きを決めて3年で戻る約束を師匠とした矢先師匠は事故で死んだ。
そして、審査会場で、杖を突く大範士に誰もお世話をしない熊は跳んでいき、階段を下りるお手伝いをした。大範士はその熊の援助を受けなかった、と言うより武士として人に手は借りぬが心情だったのであろう。

だが、玄関でお送りするとの刹那、熊に言われた、カナダに行くな、村雲の後をつげ、お前が居なくなったら凌雲館はどうなる。心配されていた。
「大丈夫です、先輩方も沢山居られるし、お婿さんも決まりました。私が居る必要はありません。」

「そうか、だが、やはりお前を富山から出すのは反対だ、行かずともすむなら行くな」と涙を流された。別れを惜しんでくれた。憎まれていたとばかり思っていた。嫌われて当然だった。だが、厳しい言葉も、批判も熊の為にわざと言われていたのだと思った。

お金持ちで、個性が強く、皆に嫌われていた、誰も知らない大範士の心を見て、熊の過去の無礼を県営武道館の玄関でお見送りしながら大範士の後姿に詫びた。