今日、カナダで放映されるNHKの番組で、「あの人に会いたい」の中で、ロケット博士、糸川先生の物語が出ていた。その彼の話の中で、彼は未来にわたり予想をしている発言があり、それが何と今現実になっている。
それと、熊が一番感じたことの中で、彼は言う、人間は目的を見つけたら、目的まで、直線を引き、その直線を、同じ幅の階段を作り、その階段を同じステップで一段一段登っていく事しかないのだと言うことを力説していた。
今の教育はそのステップの歩幅が極端に異型を成しているので、子供が付いてこれないのだと指摘していた。まさに現代の教育制度の誤りをその時点で予言していた事になる気がした。
彼が言う。「努力家だとか、天才だとかは他人が言うことで、その階段を上がって来た事を、知らない人々が彼の事を天才だと言い、その階段を登ってきたことを知る人が、彼は努力家だと言う」と言う発言に、熊はなぜか妙に納得させられた。
良いか悪いか、剣道界では努力、勤勉しか上達の道は無いと説くが、誰もが、全日本6回優勝の宮崎選手は天才だと言う思いが在るに違いない。だが、彼は人一倍努力をしたことは誰もが認めているところだと思う。
では、努力をしているはずなのに結果が出ない人が居るのは何故なのだろうか、と考えると、見えてくるものが二つ在る。一つは信念。宮崎選手は、初優勝の時、彼の剣風をトヤカク言われたが、彼はその剣風を変える事無く、前人未到の全日本連覇を成し遂げた。
勿論、現在の彼の剣風は以前の物とは変わり、俗に言うオーソドックスな剣風に変容を遂げている。詰り、彼は今も、階段を一つ一つ登り続けて居ると言う事だろうと思う。
是が二つ目だ。
彼は連覇が掛かった選手権で思ったそうだ、「自分はこの剣道しか出来ない。だからこの剣道で行くしかない」詰り彼の信念だったのだろう。
しかし彼の試合は、年々変容を遂げてきた事は誰の目にも鮮やかで、見ていて心地よい物に変容してきた。
彼は努力と言う階段を一歩一歩登り続けてきた。だから、現在の彼の剣風は、初優勝した当時より、数段、無駄な動作も無くなり、落ち着いた剣風に成ってきている。
詰り彼も優れた者の一人、未来予想図を確り創り、そこまでの道のりの線引きを直線で引き、その直線に、同じ幅の階段を作り、一段一段上り続けて来たに違いない。
優れた者と、そうでない者。格差はつけたくないが、優れた人は、目標を確り立てて、そこに、直線を引き、底に同じ幅の階段を作り、一歩一歩登り続ける事が出来る人。
ソウでない人は、目的地を謝っているか、階段の架け方が、歪なのだと思う。
それが、剣道で教える所の、直心であり、不動心であり、打って反省、打たれて感謝、反省の謙虚さが求められる所以なのだと感じた。
そして最後に、優れた人は、未来が見える、だから予想が出来る。
剣道の稽古も試合も未来が見えた人が勝つ。八卦見の未来予想図とは異なるのである。