4月3日から一週間、羽賀忠利門下、同門の居合道範士が熊の所に遊びに来てくれた。
春先のバンクーバーの天候、今年は何故か定まらない、雨の日、雪の日が続いた。
そこで、遊びと言っても、観光もできない状態。
仕方なく、方向を変えて、居合道指導が目的にしていただいた。
一週間、徹底的にマンツーマンでご指導頂いた。
ご指導頂いたのは「全日本剣道連盟居合」通常、人々はこれを、「制定居合」と呼ぶ。
彼は、全剣連の審査員でもあるので、審査のポイント、絶対に守らなければ成らない基本。非常にわかりやすくご指導頂いた。
熊が、俗に言う制定居合に出会ったのは昭和46年、当時、制定居合いを全国に普及運動真っ只中でのことであった。講習会を受けに、わざわざ、富山から岐阜市迄泊りがけで出かけたことを思い出す。
それから色々変革があった。当初、7本だけの形が、三本追加され、また二本追加されて今日に至る。
この制定居合いを作り上げた背景には、昇段審査や試合で各流派まちまちに抜いていたのでは審査、審判がし辛い。
また、剣道をやる人間が最低でも知っておいて貰いたい、刀の扱い方の認識。これらが背景にあったと聞く。だから制定居合は剣道家の為に作られたと言っても過言ではない。
勿論、其れだけではないのであろうが、最近は、制定居合は、居合道人が学ばなければ成らない、一つの新たな流派とさえ、言われている。
制定居合をないがしろにして、現在、全日本剣道連盟から段位を得ることは難しい。
古流居合だけでは、段位は受けられないのである。
それだけ制定居合は、重きを置かれる存在になった。そして、事細かに、動作や作法がが決められている。それを間違えて演舞したらまず審査は合格できないのだそうだ。
剣道家が学ばなければ成らない最低限の居合、今や、一つの新たな流派として、一人歩きをしている。